top of page

上原幸敬ブラジル日本文化福祉協会(文協)元会長を偲んで

  • 3 日前
  • 読了時間: 7分

執筆者:桜井 悌司 氏

(日本ブラジル中央協会&ラテンアメリカ協会顧問、元ジェトロ監事)


ブラジル日報紙の報道で、ブラジル日本文化福祉協会(文協)元会長、日本移民百周年祭典協会理事長であった上原幸敬さんが、2026年6月6日に、98歳でご逝去されたことを知った。心から哀悼の意を表したい。本稿では、故上原幸敬さんとの思い出に触れ、その業績を偲びたい。

 

私とブラジルとの直接の関係は、1973年3月から4月にかけて2週間、サンパウロ市のアニェンビー展示場で開催された「サンパウロ日本産業見本市」に始まる。準備・運営のためサンパウロに3か月間滞在したが、展示会の広報、イベント組織を担当していたこともあり、文協、県連の方々を中心として日系コロニアに皆さんには随分お世話になった。とりわけ、コロニアの方々には、日本舞踊、沖縄舞踊、盆踊り、太鼓、空手、剣道、茶道、生け花等のパーフォーマンスを2つのステージで演じていただき、見本市の成功に大いに貢献いただいた。その後、1995年11月には、日伯修交100周年記念ということで、再度、ジェトロに日本産業技術見本市を組織して欲しいという要請があり、同年1月、事前調査のためにブラジルに出張した。リオ滞在中に阪神淡路大震災がおこり、コロニアの方々には大いに励まされた。そういった縁があったのか、定年真近かの2003年11月にジェトロ・サンパウロ勤務を命じられ、2006年3月まで、2年5か月滞在した。短い滞在期間であったが、日系コロニアの方々や文協や県連等の主催するイベントには可能な限り参加することにした。

 

例えば、県連が主催する「フェスチヴァル・ド・ジャポン」には当時の中沢宏一県連会長からの要請もあり、2004年には、初めてジェトロ、JICA、国際交流基金の3政府団体がそろって参加した。2005年もJICAとともに出展した。文協が開催する「紅白歌合戦」、「全国民謡祭り」、「さくら祭り」等のイベントには毎年出かけたし、各種式典・セレモニーには、招待されれば、ほとんどすべて出席し、その都度上原幸敬会長には挨拶させていただいた。

 

上原幸敬さんは、2003年から2009年まで文協の会長だったので、ちょうど私の駐在期間と幸運にも重なったのである。文協、県連、県人会主催の種々のイベントやセレモニーに熱心に参加・出席しているうちに、あることに気が付いた。式典やセレモニーの進め方が相当大雑把で、ちょっとした手違いが頻繁に起こることであった。例えば、式典が予定通りに始まらない、式次第の順番の間違い、挨拶や式典の時間が長すぎる、セレモニーがいつも同じパターン、マイクの調子が悪い、日本国歌吹奏のテープが中断する、出席予定の要人が急遽欠席のため、あるいは、出欠の確認をしなかったため、ひな壇に空き席が生じる、要人名を読み上げても本人はいないことがある等々である。寛容なブラジル人からみると、それほど気にすることはないのかもしれないが、日本から来た日本人からするとかなり気になり何とかならないものかと他人事ながら心配になった。2008年には、日本移民百周年の記念祭典も迫っていた。

私は、日本で展示会・見本市、万国博覧会、各種セミナー等を多数組織した経験を持っていた。相手の立場をわきまえず、勝手に何かお役に立てないかと考え、上原会長に「イベント組織講座」の開催を提案したところ、是非ともやって欲しいということになった。講座は、2006年1月17日(水)、20日(金)、23日(月)の3日間にわたって開催された。文協の上原幸敬会長以下幹部の方々、県連の方々、ブラジル日本移民100周年記念委員会の役職員対象とし毎回30人ばかり出席いただいた。途中で、2世、3世の中には日本語を読めない方もおられるので講義のテキストを日本語・ポルトガル語の2か国語にして欲しいという要望もあったので、ポルトガル語にも翻訳して、テキストとして使用した。

 

この講座の内容は、下記のとおりであった。第1日目は、「講座の目的」、「イベント開催に当たっての事務局の重要性」、「式典、イベントをよりうまくやるためのポイント」について取り上げ、具体的に、①文協、県連主催セレモニー、②国士舘サクラ祭り、③フェスチヴァル・ド・ジャポン、④移民史料館、イビラプエラ公園内日本館を取り上げ、どのように改善・内容を充実させることができるかにつき提案を行った。第2日目は、ジェトロが主催した「ブラジル投資ビジネスミッション受け入れのケース・スタディ」、第3日目はイベントを開催する上で「工程管理の重要性とチェックリストの作り方」について説明した。

 

この講座については、ニッケイ新聞には、2006年2月7日と8日の2回に渡って大きく取りあげていただいた。またサンパウロ新聞にも、2月7日付けで「県人会等記念式典を成功に導くには」、2月14日付けで「日本祭りをより楽しいものにするには」、2月21日付けで「サクラ祭りをさらに楽しくするには」の3本の記事が掲載された。今から思うと余計なお節介をしたと冷や汗ものだったが、参加者には喜んでいただいたようだ。帰任直前の2006年3月1日には、上原会長より写真のような記念の盾を贈呈された。


上原幸敬さんを評価する場合、最初に取り上げられるのは、ブラジル日本文化福祉協会会長(2003年~2009年)として実績や、2006年の日本移民百周年祭典協会理事長として、見事に職責を果たされ、ブラジル社会に日系人の多大なる貢献を広くアピールされたことであろう。私は、そのことに加え、ブラジル社会に対して、4つの偉大な貢献をなされたと考えている。

まず第一は、水利工学の権威として、イタイプ・ダム、イリャ・ソルティラ・ダム等多くのブラジルの大規模水力ダムのプロジェクトに関与されたこと。特に、建設当時、世界最大のダムであったイタイプダ水力発電所の建設に関する基本的な研究に参画されたことでも知られている。また「上原幸敬メソッド」として知られる水力学の研究を開発され、水管理の改善、都市の問題の予防等に貢献し、数多くのプロジェクトを成功に導かれたと言われている。ブラジル人ジャーナリストであるアルド・ペレイラ氏は「川の調教師、上原幸敬の歴史とプロフィール」と題する著作で上原氏の業績を紹介している。まさにブラジルの水利工学の優秀性を世界にアピールされたと言えよう。

第二は、ブラジル人エンジニアの教育・育成に貢献されたことである。サンパウロ大学の工学部を卒業され、長年にわたり、同大学教授として、エンジニア部門の人材育成に当たられ、後に名誉教授の称号を授与された。またFATEC (Faculdade de Tecnologia do Estado de São Paulo、サンパウロ州テクノロジー学部)とFAT(Fundação de Apoio à Tecnologia、テクノロジー支援財団)の創設者の一人であることからもブラジル人の人材育成に積極的であったことが理解できる。

第三は、国際的な活躍である。ブラジルのみならずペルーやボリビアのダム事業にも関与されたり、ユネスコの国際水利学10年計画(1965年~1974年)のブラジル代表を務めたり、第6次ブラジル南極探検船『プロフェッサー・ベナルド』での研修旅行に参画したこと等々である。

第四は、少年時代を過ごされたサンパウロ州オリンピア市での様々な献身的活動である。上原さんの訃報に接し、地元の新聞であるDiario Olimpiaは、大きく取り上げており、ブラジルの工学界で最も尊敬されていた人物の一人を失ったこと、幼少期からこの町と関わりがあり、都市の重要な建設プロジェクトに直接的な貢献を残した水力学の専門家と紹介している。その具体例として、市内を紹介する絵葉書にもなっているレコ湖のダムや、オリョス・ダグア水路工事に関与を挙げている。

上原さんは、2008年の日本移民百周年祭典での挨拶で、ブラジルが肥沃な土地を提供し、日系人を温かく受け入れ、日系人に社会的地位と展望ある未来を与えてくれたことに感謝の意を表し、「日本人移住百周年記念というイベントは、今や日系社会という境界を越え、ブラジル人全てが参加する国家的イベントに発展しています。これは、ブラジルが多文化共生を大きな特徴のひとつとする寛大な国家であるという疑う余地なき証明でもあるのです。」と述べておられる。

 

上原さんの心情を私なりに推測すると、日本人や日系人を温かく、広い包容力を持って迎えてくれたブラジル国、ブラジル社会、ブラジル人に「恩返し」をしたかったのではないかと思われる。上記のような活動を通じて、見事なまでにブラジルに「恩返し」を果たされ、大往生を遂げられたのである。数年前、東京で開催された海外日系人大会に参加されお元気そうなお姿を拝見させていただいた。上原幸敬さんの温厚な性格と笑顔を思い出しつつ、心からご冥福をお祈りしたい。


左は、海外日系人大会に出席された上原幸敬さん、左は文協前事務局長のエドアルド中島さん
左は、海外日系人大会に出席された上原幸敬さん、左は文協前事務局長のエドアルド中島さん

 
 
bottom of page