僕がブラジルを見て、聞いて、知ったこと ①
- 9 時間前
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★★この記事は執筆者の許可を得て伯学コラムに掲載させて頂きます。★★
執筆者:田所 清克 氏(京都外国語大学名誉教授)
As coisas que eu vi,ouvi e conheci no Brasil
序説
留学時代の2年間を含めて、ブラジル学研究者になってからは毎年、二カ月近くの夏休みはこの国を訪ねるのが恒例であった。そのブラジルへの旅では、多くの場合、学生さんや社会人の方々を引率するのが常であった。
僕と旅したそうした皆さんが時に、ブラジルへの癒やし難い郷愁に駆られておられるだろうことを、僕は懐かしい数々の写真を見ながら想像している。
ともあれ、フィルドワークなどを通じて僕が、ブラジルの東西南北、津々浦々を踏査、知見を深めることができたこと自体、何物にも代えがたい人生の最高の喜びであり、自分への宝物さながらの贈り物であったように思えてならない。
そして、自分の目で赤裸々な現実を見て、実証することの必要性を自覚、肝に銘じたのが、自身のブラジル学構築に向けてすこぶる役立ったのは言うまでもない。
ブラジルについての認識なり知見の一端は自著や膨大な量に及ぶFacebookに紹介済みであるが、まだ書き述べていない事象が残っているのも事実である。
そこで、僕がブラジルで見て、聞いて、知ったことの中で、これまで論及していない事象に限って、これから合間合間に書き綴りたいと思う。
ブラジルで僕が見て、聞いて、知ったこと 2 ---アマゾンの河口に浮かぶ
九州よりも大きい島に生きる住民と水牛---
As coisas que eu vi, ouvi e conheci no Brasil --- Os marajoenses e os
búfalos que vivem na ilha que flutua na foz do Rio Amazonas ---
マラジョー島上空を飛んでいて、その島の大きさに驚いた記憶がある。ことほど左様に、この島(40,100平方キロメートル)はわが九州(36,780平方キロメートル)よりも面積が広いのだ。他と比べるとその大きさは、全リオ州あるいはスイスをも凌ぐ。
当初Marinatambalと呼ばれていたアマゾン河のデルタ地帯でパラー川の河口に位置するマラジョー島は、水牛でつとに知られている。島民[2022年現在、約59万人]よりも水牛の頭数[推定では、65万頭〜80万頭]が多いこともあろう。それ故に、この島が属するパラー州の文化的、経済的なシンボルにもなっている。
およそ3千の島々からなる世界最大の河川島であることから、マングローブ、湖沼、小川などが存在し、生態学の観点からも重要視されている。
こうした面に関心を抱いていたことから、マラジョー島を訪ねることが僕の夢であった。 その夢が15年前に叶えられた。三人の女性[二人は学生、もう一人は歌人]を連れ立っての旅でもあった。
以下に綴るが、ブラジルを対象に研究する身にとっては、マラジョー島の自然景観、住民、経済の営みなど一切が物珍しく、ノートに取ったものだ。中でも僕の目をひいたいくつかを、皆さまにも紹介しよう。
まず、何処でも目に入るのが、水牛とゼブー種の牛だろう。ちなみに、語り伝えるところによると、インドもしくは東南アジア原産の水牛の場合、隣国に運搬途上のアマゾン河口で船が難破した折に、島に泳ぎ着いたらしい。が、他にも説がある。
ともあれ、普通の牛に比べて抵抗力があり、この地の風土に順化したのが繁殖した要因と考えられている。水牛と牛を飼育する牧場主にとって恐れられているのは、洪水と獰猛なワニやピラニャである。そのために、猛魚やワニから守るために、マロンバ(maromba)と呼ばれる水上木柵に入れて飼育される。
雨季の洪水を避けるために、家畜を高所に移されたりもする。住民はカボクロ(cabo-
clo=白人とインディオの混血)が大半で、飼育する牧童たちは概して、強い日差しと雨から護るために、写真のようなワラ帽子を被っている。
島の牧場主はアクプ[acupu=湿気や虫害にも耐用性がある、家の建築材としては最適]という、長年朽ちることのない木を使った家を高台に立てている。
最高の想い出になったマラジョー島への旅行であったが、水牛に乗って辺りを散策したことから、ダニに噛まれて強烈な痒みで、帰国後も悩まされた。その意味では辛いというか苦い旅でもあった。日本人があまり訪ねないマラジョー島を、是非とも訪ねて頂きたいものです。
ブラジルで僕が見て、聞いて、知ったこと 3
大の果物好きの僕には、一日たりとも、それが何であろうと食卓欠かしたことがない。
ブラジルへ重ねて旅した事由がフルーツを食べることにあったのも過言ではない。とくに各地で口にしたパパイヤ(mamão)には病みつきになり、種類は違うが、時折今でも、熊本の専門店から買っているほどである。
ブラジルはフルーツ天国である。わけてもアマゾン地方には、珍奇で美味なものが数えきれない。そうしたフルーツについてはおいおい書き綴りたく考えている。最初にアマゾンの原生林で知ったこの地特有のフルーツと言えば、これから述べるパラー栗[castanheira de Pará(学名 bertholletia excelsea)]である。
ブラジルで見て、聞いて、知ったこと 4
--ブラジルの文人が訳した松尾芭蕉の名品--
As coisas que euvi, ouvi e conheci no Brasil
--- A obra sublime de Matsuo Bashô que foi traduzida pelo literato brasileiro –
歳を重ねるにつれて、日本の古典文学、ことに俳句に強く惹かれるようになった。若い時から松尾芭蕉や与謝野蕪村に関心があり、今でも『奥の細道』などは私の枕頭書になっている。 そもそも私への俳句に対する情熱に再び火がついたのは、ブラジル留学の時かもしれない。ある文芸誌を読んでいて、ブラジルの文人が手がける俳句にふと出会ったからである。爾来、ブラジル文学はむろん、日本の俳諧師、俳人たちの作品にも目を注ぐようになった。以前にも触れたが、ブラジルにもあまたの俳人や俳句愛好家がいることに、驚きを禁じ得なかった。
今の私は、そうしたブラジルの俳人や俳句愛好家とも交流し、時には彼らの手になる俳句を、直訳ながら邦訳することに悦びを感じている。
今回は、松尾芭蕉の、西洋諸国でも知れ渡っている、名作中の名作「古池や、、、」をポルトガル語に訳を紹介する。
古池や(Furuike-ya) 蛙とびこむ(Kawazu Tobi- komu) 水の音(Mizu-no Oto)
二人の文人、つまりHaroldo de Campos とAlberto M. Rodriguesによつなされているが、おそらく著名なOctavio Paz によるスペイン語を見てからのものと思われる。
Un viejo estanque: Salta una rana “Zas”Chapaleteo. [Octavio Paz]
Um velho tanque: Uma rã Salt,Tomba, Rumor d’água. [Haroldo de Campos]※
Velho lago Mergulha a rã Fragor d’água [Alberto M. Rodrigues]
注記
※1929年にサンパウロに生まれた詩人で、視覚や音の側面を重視した、具象詩[poesia concreta ou concretismo]創造に向けて立ち上がった。なお、具象主義については、拙著『ブラジル文学事典』(彩流社)の中で詳述している。
ブラジルで見て、聞いて、知ったこと。5
ブラジルに最初に行く前に、書を通して認識はあったが、会話の相手が目上の人であっても、Sr.やSra.を使わず、Vocêを多用する傾向にある。
かつてフルミセンセ大学の指導教授に対して私は、礼儀面からも敬意を表する立場から敬称を表す主格代名詞のSra.を使ったら、肩苦しいからVocê扱いするよう、即座に言われたことがある。
この親しい間柄で使われるVocêに代わってポルトガルでは、Tuが用いられる。南部のRio Grande do Sul 州に限って、二人称が使われるのは興味深い。
ところが、Vocêの日常会話での目的格には、二人称単数Tu の目的格であるteやti が、Rio Grande do Sulに限らずブラジル全土で多用される。
Eu te amoやEu te amo Brasilはその例で、三人称の目的格であるOもしくはAとはなっていない。文法的には誤りであつても、身近な存在の、いわば親愛の直説的な表現になっていないからであろうか。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと。6
---愛称について--- --- sobre o nome familiar do carinho ---
キヨカツ[清克]という名前の私は、両親、友人などの親しい間柄では、愛称「カッチャン」あるいは「ケイチャン」と呼ばれることが多かったように思う。
ところで、ポルトガル文化の影響からか、ブラジルにおいては、親しい間柄では、愛称が多用されることに驚く。 次に例示する最初のケースのように、何故に愛称が本名とてんで異なっているのは理解し難いものがある。ともあれ、よくブラジルで耳にする本名と愛称を知っていることは、親近感を与え、人間関係を緊密する上で大切かもしれない。
ちなみに、私の友人で、親日家のManuel Martins さんの愛称はさしずめ、Mané Maneca, Neca,Manduca, ...となる。
[本名]
Alberto--Beto, Bebeto, Betinho, ...
Antônio--Totônio, Toninho,Tonico, Nico.
Francisco--Chico, Ciquinho, ...
Fernando--Nando, Nandinho, ...
João--Janjão, Jonjica, Joãozinho, ...
José--Zé, Zezé, Zezinho,Zeca, Juca, ...
Joaquim-- Quim, Quinzinho, Quincas,...
Luís--Lulu, Luisinho,...
Helena--Lena, Nena, Leninha,..
Isabel--Bel, Belinha,...
Sebastião--Bastião, Tião,Tiãozinho, ...
※縮小接尾辞[sufixo dimunutivo]のzinho, zinhaを使うのがもっとも多い。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 7
---[英国人が見るためだ]--- --- É para inglês ver---
ブラジルの歴史を知っていなければ分からない、故事成句がある。
É para inglês verはその一例である。直訳すると、英国人が見るためだ、という意味になる。が、その表現が内包する意味は異なる。つまり、見せかけの活動や行為によって、意図的に実際の活動、行動を隠蔽する、の文脈で使われる。
英国の奴隷制廃止運動にもかかわらず、ブラジルはアフリカから奴隷を導入し続けていた。それを阻止すべく英国の奴隷船狩りの軍艦は、ブラジルの沿岸に留まり、監視していた。ブラジルも表面上は英国の意をくみ、ブラジルの警備船も奴隷輸入船の見張りに当たっていたが、それはまったくの見せかけで、実際は逆に、奴隷の輸入に協力していたのである。 奴隷輸入を摘発するべきブラジルの警備船は、外見上、単に英国人に見せかけるために巧妙な工作を行っていたに過ぎない。英国人の目を偽るために見せかけた塩梅である。このように、故意に実際の行動を偽り騙す行為を指して、É para inglês ver、という。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 8
--- ブラジルでの勝ち負けや順位を決める方法---
Carlos Drummond de Andrade と言えば、ブラジル文学史上、最高の詩人である。中でも私の大好きな彼の詩集は、“ Amar se aprende amando”(愛することは、愛しながら学ぶ[身につく])である。 とにかく、谷川俊太郎を想わせるような詩風にぞっこん虜になっている私は、詩作のいくつかをこれまでにも訳して紹介している。
先に上げた詩集の中に、子どもたちの遊びであるジャンケンを扱った童歌らしきものがある。 勝負事や順番を決める場合、私たち日本人はジャンケンをするのが少なくない。ブラジルではそんな決め方をtirar à sorteという。要は、運で勝敗を決するわけだ。
しかしながら、順位や勝敗の決め方には、私が知った限りでも、いくつか存在する。コインを投げて、それが地面で裏か表で決する方法。そのやり方をtirar cara ou coroaと言う。caraはコインの表で、対するcoroaは裏を指す。いわばこの賭けて決める方法は、英語のtossingに当たる。
偶数(par)か奇数(ímpar)かによって決めるやり方をtirar par ou ímparというようだ。その具体的な勝敗の決め方は失念したが、二人の間でなされる。
マッチや爪楊枝を使ったtirar no palito(palitinho)や、大人数の間でなされる、1か2で決めるtirar dois ou umもある。これまた、今となっては勝敗の方法が思い出せない。 この種のやり方で、街角のbarなどで飲み物などを賭けて興じているブラジル人を、私は幾度見たことか。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 8
--- ジョゼー・デ・アレンカールの大作『イラセマ』を着想させたマル
チン・ソアーレス・モレーノ
ブラジル文化を研究する私にとって、セアラー州はきわめて重要な意味を持っ。何故なら、ブラジル文学史上、初めて本格的な小説を世に問い、『オ・グアラニ』と並んで、人口にかいしやした畢生のインディアニスタ大作『イラセマ』を書いているからである。しかもそれが、自慢するわけではないが(modestia à parte=if I do say so myself)、私の最初の文学作品の翻訳になっていることもあろう。
ちなみに、Facebookでも2回取り上げ紹介したが、このブラジルを代表する文豪の“ O Guarani”は、目下オリンピックの会場となっているミラノのスカラ座において、Carlos Gomes によってオペラ化され、絶賛されもした。このゴーメスの偉業を顕彰して後に賞が作られ、日本人としては初めて原田裕子さまが受賞されていることも付加しておこう。
さて肝心のソアーレス・モレーノであるが、セアラー州の重要な役割を果たした開拓者として記憶すべきである。 インディオと共に暮らしながら、先住民の言葉を話し、彼ら同様に身体装飾を施したと言われるモレーノ。その彼がセアラー州から占拠しているフランス人やオランダ人を放逐するために偉大な功績をあげているのだ。
ロマン主義文学において最高峰に位置するアレンカールの、拙訳『イラセマ』は、主題であるインディアニスタを模索して、モレーノなる人物に着想を得ているのである。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと。9
-- 私の体内にも貫き流れるアマゾン河--
アンデス山脈に源を発し、ブラジル北部の樹海を滔々と流れ、大西洋に注ぐ長大なアマゾン河。世界ニ位の長さ[全長は6300km]を誇るその大河は、水量と流域面積においては、堂々と世界の首位である。
この世界に冠たる大河に惹かれたのも、自身がブラジル研究を志した動機の一つになっている。そのこともあろう、39年に及ぶブラジル研究の間、ほとんど毎回のように訪ね、アマゾン河に関して論文や著書をいくつか認めている。
水量ばかりか、水深、川幅では地球上最大であることから、海と見まがう印象を受ける。その水量に関して、概して世界の河川は時期によって異なるが、[最近こそ気候変動の影響でそうとも言い切れないものの]アマゾン河はあまり変化がない。
その理由は、河の左岸と右岸の雨季の時期が異なるからである。すなわち、アマゾン地方北部の雨季は二月に始まり、左岸の支流を潤すのに対して、同南部のそれは七月に始まり、支流・分流を満たすからである。
アマゾン河の水害は侮れない。河の満水状態は四カ月も続き、そのために数年ごとに大洪水[enchente]を引き起こす。住民の家屋のみならず、家畜、はたまた巨木までも飲み込む始末。水深は50〜80メーター内外。場合によっては、200メーターを越す深さのところもある。それ故か、外洋船は河口から上流まで遡行可能である。河川幅も大河ゆえに広く、場所によっては10kmを越えるところもある。
最初にアマゾンを訪ねた時に私は、マナウスのTropical Hotelに投宿しながら、アマゾン河の一大支流をなすネグロ川をヘリで横断したのを鮮明に記憶している。支流と言えども、その川幅の広さに、ただただ驚嘆したものである。
ともあれ、アマゾン河への強い思いはいわば、私の体内にも脈々と貫き流れているかのように、今も常に思い起こされる。



