僕がブラジルを見て、聞いて、知ったこと ③
執筆者:田所 清克 氏(京都外国語大学名誉教授)
★★この記事は執筆者の許可を得て伯学コラムに掲載させて頂きます★★
ブラジルで私が、見て、聞いて、知ったこと 16 ---北東部セルトンの自然・文化・社会景観---[1]
もう一つのブラジル、それもセルトンと呼ばれる半乾燥地帯に、ロンドン計画(Projeto Rondon)に参画して、一ヶ月程度逗留したので、私にはこの地域についての認識は少なからずある。かと言って、地域全体を俯瞰するまでに認識しているわけではけしてない。
これまでにも機会あるごとに私は、北東部、わけてもセルトンの様々な様相に関して記述してきた。それというのも、その地が自身の研究に深く刻まれているからに他ならない。
すこぶる愛着を覚えるその奥地セルトンについて、訪ねた時分を想い起こしながら、改めて綴ることにしたい。
北東部の奥地に位置し、極端に雨が少なく、しかも降雨も不規則で、独特のビオーマの熱帯灌木草原をセルトンと呼んでいる。
そうした要因は、植生にも大きな影響を及ぼし、激しい干魃に耐える植物のみが生き延びる。多種類の灌木林と草原が混在する。そこはカアチンガ(caatinga=インディオの言葉で、白い森を意味する)と称し、乾燥に強いサボテン科の、マンダカルー、シッケ・シッケ、ファシェイロ等が目立つ。灌木では、ジュアゼイロ、オイチシーカを除いて、他の樹木の葉は枯れ落ちる。
干魃を描いた1930年代のいくつかの作品に見るがごとく、無常に襲う干魃ともなれば、河川は文字通り水無川と化し、食料が底をついたセルトンの住民を苦しめる。そして、雲一つない干天の空を仰いで、ひたすらセルタネージョ(奥地の人)は、ルイース・ゴンザーガが唄う「白い翼」(Asa Branca)に垣間見られるように、空の守護神São Pedro に雨乞いし、慈雨を待ち望むのである。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 17 - 北東部セルトン地帯の自然・文化・社会景観- [その2]
おれが奥地に舞い戻るよう、雨が再び降り出すように、とおれは祈る
君の目の緑が草木の中に拡がるとききっと還ってくるからもう泣かないでおくれ、いいかい
「白い翼」の歌詞にもあるように、カアチンガに雨が降り始め、からからに乾燥した大地に緑が蘇り、あちこちに花が咲き始める頃は、主として南東部に出稼ぎに出向いた人(pau-de-arara)および住民にとって、もっとも至福で心安らぎなのかも知れない。
セルトンで暮らしを支えるのは概して、農牧畜である。そのために、家畜を売買する市場や宿泊施設を具えた村落が点在する。
カアチンガに住む人々の家の大半は、木枝を組んだ骨組みを泥土で塗り固めた、pau a pique ないしはtaipaと呼ばれる壁で作られている。
その上、暑さを避けるために、長い軒の張り出した、いわば指し掛け小屋の造りになっている。そして、十中八九、軒下にはハンモック(rede)が吊るされている塩梅だ。
因みに、Projeto Rondonに参画した折に、セアラー州の都Fortalezaで良いデザインのハンモックを買って持ち帰ったが、一度も使ったこともない。家の解体時に、廃棄処分されたことであろう。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 17 --北東部セルトンの自然・文化・社会景観-- [その3]
貧困と革命思想に醸成されたセルトンの文学的風土
Clima literário do Sertão criado pela pobreza e pelo pensamento revolucio-
Nário [consciência de classe ]
先述したように、干魃に打ちひしがれ、社会を牛耳る大農園主や牧場主たちによる旧弊な専横等によって、下層の住民は苦しみもがいている。
“コロネル”と呼ばれる地方ボスは、政治的実権を握り、と同時に、警察権以上の力を発揮してきた。
その状況は現在では変化しているが、北東部、わけても内奥部のセルトンが今もなお、国内でもっとも人間開発指数が低く貧困地域てあることには変わりがない。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 17 --北東部セルトンの自然・文化・社会景観— その4
貧困と革命思想に醸成されたセルトンの文学的風土
Clima literário do Sertão criado pela pobreza e pelo pensamento revolucionário
[その5]
※昨日、かなり長文のセルトンの文学的風土について論じたが、それがどういうわけか消失してしまった。呆然というか、頭が真っ白になり、継続して書く気力を失う羽目となった。
こうして本日、文面というか内容の異なるものにはなるが、改めて論述するのを強いられた次第。
「もう一つのブラジル」とも言われる北東部は、この国の縮図でもある。
国家形成面で歴史的に古く、国のかたちを考える意味で、さまざまな顔を呈している。しかも、旧弊な社会構造に由来して、これまで種々の問題を抱えた地域であった。
不定期的に出来する干魃に加えて、農園主の搾取によって貧困がもっとも蔓延、pau de arara [「オウムの木」の意味。オウムさながらにトラックの荷台に座って、他の地域に出稼ぎする人を指す]は主として南東部への出稼ぎを強いられてきた。
そうした貧困ゆえか、1930年代の地方主義小説は、新写実主義の視座からこの北東部の諸問題を剔抉し、と同時に、この地特有の、跳梁跋扈する匪賊(cangacei-ro)や義賊もしくは盗賊(lampião)、政府あるいは州政府に抗する中世的な宗教の狂信者(邪教徒)ベアットやアントーニオ・コンセレイロ[例えば、エウクリーデス・ダ・クーニャ著『カヌードス戦争』(Os Sertões)→この作品については、住江淳司氏の手になる好個の文献『カヌードスの乱』あり]等をモチーフにした。
ともあれ、北東部、とりわけセルトンの文学は必然的に、社会文学にならざるを得ない。換言すれば、社会的で階級的ともいうべきものであり、同時に、論争的で扇情的でもあり、高踏的で革命的な文学でもあると言えよう。その一例として、拙訳したジョルジェ・アマードの『カカオ』(Cacau)などは、農園主と労働者との間の闘争が主題であり、小林多喜二の作品に観るように、まさしくプロレタリアートについての文学である。
北東部は前述の通り、「ブラジルの縮図」のように私には思える。この地域を文芸風土学的な視角から論じた自著『ブラジル北東部の風土と文学』(金壽堂出版)も究極において、この国のかたちを文学を基軸にして理解しようとする試みであった。
主たる参考文献:ヴイアーナ・モウグ著 “Uma Interpretação da Literatura Brasileira『一つのブラジル文学解釈』
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 18 --5月13日という日--
広場や街などの名前に、5月13日をつけたものが、ブラジル全土で見かける。
この日は、黒人およびアフロ系民族にとってはすこぶる重要である。何故なら、16世紀に始まり、19世紀の末期まで続いた、奴隷制度が幕を告げることになったからである。
今でこそこの国の三つの基層文化になっているが、過去においては、アフリカから拉致され、労働力として酷使されながら、塗炭の苦しみを味わった。のみならず、物同然に扱われ、彼らの黒人たる帰属意識もアイデンティティも抹殺されていたのである。
そうしたアフリカ黒人奴隷の問題や文化に多大の関心があったことから私は、かなりの紙面を割いて、至る所で論じている。
他のどの国よりも遅れてブラジルは、まず「胎児自由民の令」(Lei do Ventre Libre)が1871年、続いて「60歳代の奴隷解放令」(Lei do Sexagenário)が1885年、そしてついに、当時の執政イザベル皇女は「黄金令」(Lei Áurea)に1888年5月13日に署名して、奴隷にとっての暗黒の制度は撤廃されたのである。
そのためか、彼らの芸術、音楽、スポーツ、文学などには、制度に虐げられた自らの苦悩、怨念などを表明、刻んだものが少なくない。
私がブラジルで見て、聞いて、知ったこと 19 --七つの文化圏の人間像の一例—
[1] carioca
周知のように、大陸的な版図を持つ大きな国がブラジルである。しかしながら、そうした大陸的規模にもかかわらず、高名な文学者にしてジャーナリストのVianna Moogが著書『バンデイランテスと西部開拓者』(Bandeirabtes e Pioneiros)が指摘しているように、さも島国であるかの如く、七つの文化圏から構成されている。
私がリオのフルミセンセ大学で執筆・作成した修士論文「文学と国土認識―伯国文学における地方主義の一考察」(A Literatura e o Conhecimento da Terra)も、これにヒントを得て、その核心部分も依拠しているといつても過言ではない。
いずれにせよ、真にブラジルを理解しようとなれば、七つの文化圏、すなわちアマゾン、北東部、なかでもバイーア、南東部のリオ、サンパウロ、ミナス、南部の大河州、連邦府ブラジリアについて知識を広める必要がある。加えて、各地域に生きる特異とも思える人間像を知ることで、総じてブラジル人の思考・行動様式の理解も深まる。
その一例として、パウリスタとよく比較される、リオ市生まれのカリオカ(carioca)はどうだろう。
軽妙洒脱で派手な傾向の彼らは、どちらかと言えば、軽率とも思える行動をとる。そして、自らのメッセージをはっきりとした口調で他人に伝えることなく、風俗文学に逃避してしまった感がする。それは裏を返せば、アイロニーによって茶化す、いわゆるカリオカ的なアイロニーが見て取れる。
この国最大の文豪Machado de Assisの作品を読めば、そのことが得心できる。この都市の文化に比するものは他の地域にはなく、批判主義的な文化とアイロニーが、カリオカには具わっているように思えまる。
であるからこそ、優れた文学、音楽などの芸術の都と解される所以かもしれない。
高級リゾートのイパネマ、多分そこでしか、Garota de Ipanemaなる名曲は生まれなかったであろう。
私がブラジルで見て、聞いて、知ったこと 19 ―七つの文化圏の人間像
の一例―
[2]パウリスタ(paulista)
同じ南東部でありながら、リオとサンパウロでは、その精神・文化風土が大きく異なる。従ってそれは、そこに住む人々の性向や気質にも影を落としている。
パウリスタ、すなわちサンパウロ州の住民※は、過去の歴史において、国の版図拡大を目指して、サンパウロの高原からバンデイラなる奥地探検隊を編成して、川沿いに内陸部に浸透した。
開拓者精神にあふれた彼らは、奥地を物ともせず突き進んだ。結果として、インディオ狩りや金、ダイヤモンド発見に成功を収めたばかりか、ブラジルの領土拡大に大いに寄与した。その一方で、そのバンデイラ精神が、パウリスタの文化にも反映されていることは、特筆大書すべきであろう。
奥地探検隊員(bandeirante)たちの、征服者たる帝国主義的な一面は否めないが、彼らの普遍主義、今日的に言えば国際主義的な特性は、末裔のパウリスタたちの血脈にも流れているように思われる。
そうした普遍性は、思想面にも発現している。1922年に市立劇場を舞台にして生起する「近代芸術週間」(Semana da Arte Moderna)を介しての近代主義運動(Movimento Mo-
dernista)などはその典型かもしれない。
サンパウロは世界の国や地域から多くの移民を受け入れたこともあって、パウリスタにはカリオカほどに強い個性は感じられない。がしかし、一つの考えを自分のものにすると、それを他人に披露し、国中に吹聴して回る傾向がみられる。
パウリスタに対するブラジル人が抱く内包的概念はその外、遊びを旨とするカリオカとは対照的に働き虫である。しかもある意味で、文芸や政治に相対的に関わりたくない人種とも言える。
それかあらぬか、音楽、演劇、文学活動などのブームは、リオに先鞭を切られ、後になって到来することが一般的である。
※パウリスターノ(paulistano=サンパウロ市民
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと19 ―七つの文化圏の人間像―
[3]ミネイロ(mineiro)
ヴイアーナ・モウグが“ハイネの詩のような一つの耽美的な意味を持つた言葉”の如く観る、ミナス・ジェライス州。その州生まれの人がミネイロである。
ミナス州はブラジル独立運動の発祥の地であるばかりか、周知のように、18世紀にはVila Rica[現在のOuro Preto]を中心に、金ブームによってバロック芸術が華開いたことで知られている。
そのこともあって、ブラジル文化を研究する立場からその方面、とくに、栄華を極めたバロック芸術全般について知識を深めるべく、数日滞在した経験がある。
この文化圏を論ずる場合、地理的状況は默過できない。つまりそこは、山で囲まれた、いわゆる盆地を呈している。
そのことが、同じ南東部でありながら、リオやサンパウロとは全く異なる文化圏として息づいているように思われる。頑固なまでの封建主義、地域主義などもその要因であり、ミナスの歴史に深く刻まれている。
結果として、ミナス州人、つまりミネイロはすこぶる地域主義的な人間であると同時に、内向的で閉鎖的と言える。
一般のブラジル人が抱くミネイロに対する内包的概念もしくはイメージでは、山間人さながらに口数が少ない人種のようにみなされている。また、金銭的には締まり屋が多く、ブラジルのユダヤ人とも言われるほどである。
こうしたミネイロの気質なり性向は、Carlos Drummond de AndradeやCidros Anjosの詩のなかにも伺うことができる。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 19 ―七つの文化圏の人間像―
[3]ガウーショ(gaúcho)
北東部半乾燥地帯のヴァケイロと並び称される最南部の牧童であるガウーショ(gaúcho)。本来、アルゼンチン、ウルグアイを含めて、南米大陸最南部の平原の住民を指すものであった。ヨーロッパ人と現地の土着民たるインディオとの民族的融合に特徴があるようだだ。gaúchoなる言葉の起源は、トゥピ語もしくはスペイン語に発しているとみなされている。
ところで、アマゾンとは正反対の地域に位置する南大河州(Rio Grande do Sul)は、どういう文化圏なのであろうか。
パンパスの拡がる落ち着いた美しさを持つ土地を、Vianna Moogは“ユリシーズが描いたような牧歌的な風景”とまで捉え、馬に乗って移動する特権を共有する人間がガウーショと観ている。
そして彼らは、自分よりも優位な人間を多くの場合、認めようとはしないばかりか、自らの環境以外にあまり関心がないようにさえ見える、と論及する。
ガウーショは、ドイツ人であろうとアメリカ人であろうと、外国人は一纏めにしてグリンゴ(gringo)と呼ぶ傾向にあるとのこと。意外なのは、他のブラジル地域をバイアーノ(baiano)とさえみなしていることだ。
そこに見え隠れするのは、ガウーショたちの優越感であり、インフェオリティー・コンプレックスなど微塵も感じられないことだろう。
そうした孤立的で隔離主義な特質の文化圏に育まれたガウーショは従って、気位が高く、威張り屋である、というのがブラジル人一般の内包的概念である。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 19 ―七つの文化圏の人間像―
[3]バイアーノ(baiano)
ブラジルを私が訪ねた時は、機会が許す限り、「黒いローマ」と言われるサルヴァドールに足を向けた。 その理由は、①初めてブラジルの首都か置かれた地であることで、この国の形成期の古い顔をもつている②バイーアはアフリカ奴隷が導入された主たる地域で、多様な黒人集団と彼らがもたらした言語、民話、音楽、舞踊、芸術、宗教、料理(法)、格闘技(capoeira)などの文化全般、並びに黒人系の思考・行動様式を理解するのには最適地である③リオともレシーフェとも異なるカーニバルの様相を呈している④同じ北東部に位置しながら、異質な文化圏を構成している⑤個人的に作家のJorge Amadoとの交流、等が挙げられよう。
一連のブラジルの人間像でバイアーノを見るとき、まさに④の事実を踏まえる必要があるように思われる。
北東部内陸部の文学は、容赦のない無情な自然気候や人的要因の上に、社会学的要素、階級闘争の要素、つまりきわめてプレミカルで扇動的な、ある意味で弁証法的な革命的な色彩を帯びているのが少なくない。
これに対して、バイーア地域、文化圏には、そうした階級闘争のカラーがなく、どちらかと言えば、インテリの文化が醸成された圏域であった。
それ故か、人文学者などの知識人の関心は、自国の奴隷制度等の社会問題ではなく、ヨーロッパの学問や知識吸収に向けられていたのである。
国がかかえる社会問題には目をそらし、現実とはかけ離れた独特の文化がバイーアには存在したと言えよう。
その点からして、バイーアの人間にとって、セルトンの如き内陸部はもはやバイーアではなくて北東部と捉えていたふしがある。
今日のバイーアの住民は概して、陽気でもてなし好きであるが、伝統的なインテリ文化の存在は色濃く、これまでにも多くの著名な知識人を輩出している。
サルヴァドールはその意味で、単にアフロブラジルのメッカであるだけではなく、今も歴史に根付いたインテリの世界である。
ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 20 ― ブラジルの全州都の別称(apelido)―
自然風光と都市空間の美しさから、Cidade Maravilhosaと言っただけで、ブラジル人であればリオ市のことだと即座に理解する。
その「麗しの都リオ」の想い出について、先日述べたばかりである。
ところで、親友のManuel Martinsさんから、ブラジルの各州都の特別な名称(apelido)に言及した地図を送って頂き、勉強になった。
各州の特徴や文化、自然風土をうまく形容していて、それを見た瞬間、言い得て妙だと思った。
皆さまにもぜひとも知って頂きたく、その一部をご紹介する次第。
「美しい都市」のリオ以外に、例えば、緑の樹木、つまりジャングルの熱帯樹林の世界Amazonasの州都はPorto de Lenha (薪の港)であり、何故か知らないけれどもMaranhãoの州都São Luísは、Ilha (Upaon-Açu) do Amor(愛の島)だそうだ。
[後に調べてみると、その島がロマン的な風情があり、文化的に豊かであるのが、命名の事由のようだ。]
Manuel Bandeiraの詩[Evocação do Recife]を想起させるが、文字通り水の都であるペルナンブーコ州の一大中心地のRecifeはイタリアのベニスに似通っていることから、「ブラジルのベニス」(Veneza brasileira)ともみなされている。
Bahía州は「良い土地」(Boa terra)として 知られているが、州都Salvadorは、陽気な州民の気質が表徴されたのか、「喜びの都」(Capital da Alegria)と言う。
ちなみに、バイーア州をBoa terraと呼んだのは、SinhóがA Bahia é boa terraと作詞したことから来ている。
南東部のEspírito Santoの州都Vitória を「蜂蜜の島」(Ilha do mel)とも呼ぶが、その事由をとんと推察できない。
有名な「蜂蜜の島」は本来、Espírito Santoではなく、Paraná州にあるようである。Vitóriaは自然の美しさと無風の凪に恵まれていることから、Guananira とも呼ばれるインディオによって付けられた名称が「蜂蜜の島」らしい。
サン・パウロが「霧雨(こぬか雨)の地」(Terra de Garoa)と呼ばれるのは何故なのだろう?そこに住んだ人であれば、お分かり頂けるだろう。
恒常的に霧雨が降るに州都の特徴がある。が、気候変動によって昨今はそうも言えないそうである。しかしながら、その呼び名は文化、音楽、歴史に印され定着している。
南部、なかんずくParaná州は、とも呼ばれるAraucariaの植生する地域である。菊の花を想わせる形状をした樹冠を持つ、亭々たる巨木が原野のあちこちに聳え立つ光景は、壮観そのものだ。
環境都市としても知られている州都Curitibaは、「アラウカリアスの都市」(Cidade das Araucarias)のapelidoがある。
Ipêとアラウカリアに強く惹かれる私は、病高じて、前者のイペーを自宅の温室で大事に育てていたが、その努力の甲斐もなく涸れ死した。
その点、亜熱帯もしくは熱帯育ちのアラウカリアは、日本の自然風土にも順化するかもしれない。
できたら、その見目麗しい樹木を阿蘇の自宅の庭に植えたいのが、私の夢である。
連邦府(Distrito Federal)のあるブラジリアは、「セラードの都」(Cerrado da Capital )という呼び名がある。
国土の約22〜24%を占める、二番目に大きいビオームのセラードにあって、GoiâniaのGoiásはその中心という地理的位置から、Cerrado da Capitalという別称がつけられているのも納得できる。
いわば熱帯サバンナの様相を呈するセラードについては、その地理的特徴を中心にラテンアメリカ協会のコラムでも言及しているので、ここでは割愛する。
このように、各々の州都にapelidoがあるのも、地域や歴史を反映した特徴を体しているからに他ならない。こうした州都の別称からも、州都の歴史的成り立ちや自然、文化等を読み取ることができる。
ブラジルで私が見て、聞ブラックいて、知ったこと 21 ―心の琴線に触れるオラーヴォ・ビラックの詩作について語る― ①
高踏主義を代表する詩人で、Hino da Bandeira Bandeira[ブラジル国旗賛歌]の作詞家でもある、オラーヴォ・ブラックの詩作の中で、私の好きな詩:
“Velhas Árvores”(老いたる木々)を拙訳でまず紹介したい。
[Velhas Árvores]
Olha estas velhas árvores,mais belas
Do que as árvores novas,mais amigas:
Tanto mais belas quanto mais antigas.
Vencedores da idade e das procelas...
O homem, a fera, e o inseto, à sombra delas
Vivem, livres de fomes e fadigas;
E em seus galhos abrigam-se as cantigas
E os amores das aves tagarelas.
Não choremos, amigo, a mocidade!
Envelheçamos rindo!Envelheçamos
Como as árvores fortes envelhecem:
Na glória da alegria e da bondade,
Agasalhando as pássaros nos ramos,
Dando sombra e consolo aos que padecem!
[老いたる木々]
若い木々よりもさらに美しく、愛想のいい
この老いたる木々を見たまえ
古ければ古いほど一段と美しい。
歳月と風雪の勝利者
その木陰で、人、けもの、そして虫は
飢えと疲れから免れて生きる
そして、その梢に守られて、おしゃべりの鳥たちの歌声と愛を庇う
友よ、青春時代を嘆くのはよそう!笑いながら老
いることにしよう!老いることにしよう!
が年輪を重ねるように。
悦びと優しさの至福の中で
鳥たちを梢に宿らせ
苦しむ者に安らぎの日陰と慰めを与えながら。

ブラジルで私が見て、聞いて、知ったこと 21 ―心の琴線に触れるオラー
ヴォ・ビラッキの詩作について語る― ②
前回、詩人は老いることの素晴らしさを、強い老樹に喩えて謳っている。その一方で、その詩であるVelhas Árvoresとは対照的なものもある。「老女」(A velhice)がそう。
孫の目から、おばあちゃんの老いからくる身体的に特徴や感情面の落ち込み(老化現象)などを吐露した詩となっており、すこぶる興味深い。
78歳の後期高齢の私は、この孫のおばあちゃんの観察と似通った状況にあるだけに、老化の有り様に苦笑するしか他にない。
が、これも運命と捉え、肉体的衰えには甘んじつつ、精神的には衰えまいと、自らを叱咤している日々である。
では、孫が自分の祖母の老いを忌憚なく表現した、Bilac の“A velice”の詩を拙訳で見てみよう。
A velice(老女) O neto:
孫は(尋ねる):
Vovó, por que não tem dente?
おばあちゃん、どうして歯がないの?
Por que anda rezando só?
どうして一人でお祈りしているの?
E treme, como os dentes Quando têm febre, vovó?
そして、おばあちゃんは人が熱のある時に歯をガタガタさせるように震えているの?
Por que é branco o seu cabelo?
どうしておばあちゃんの髪は白いの?
Por que se apóia a um bordão?
どうして杖に寄りかかっているの?
Vovó, porque, como o gelo, É tão fria a sua mão?
おばあちゃん、氷のようにばあちゃんの手はそんなに冷たいの?
Por que é tão triste o seu rosto?
どうしてばあちゃんの顔はそんなに悲しそうなの?
Tão trêmula a sua voz ?
おばあちゃんの声はそんなに震えているの?
Vovó, qual é seu desgosto?
おばあちゃんの悩みは何なの?
Por que não ri como nós?
どうして僕たちのように笑わないの?



