私の選んだブラジル名曲集 ⑤
- Wakana Iwata
- 8月18日
- 読了時間: 10分
★★この記事は執筆者の許可を得て伯学コラムに掲載させて頂きます★★
執筆者:田所 清克 氏(京都外国語大学名誉教授)
ウファニズモにあふれた 「ブラジルの水彩画 」①
Aquarela do Brasil repleta do Ufanismo
ミーナス州の作曲家Ary Barrosoが1939年に作った「ブラジルの水彩画」は全時代を通じて、もっともポピュラーな歌曲の一つと言ってよいだろう。
加えてそれは、ウファニズモに満ち溢れた典型である。
ウファニズモとは、ブラジルで定評ある二つの愛用する辞典ではこのように説明している。
<atitude de quem se orgulha de alguma coisa com
exagero:orgulho exacerbado pelo país em que nasceu>
[Dicionário Houais da Língua Portuguesa]
<あることを大袈裟に自慢する人の態度:自分の生まれた国を過度に誇りにすること。>
<atitude, posição ou sentimento dos que influenciados pelo potencial
das riquezas brasileiras,pelas belezas naturais do país, etc... desmedida-
mente.
[Novo Dicionário de Aure-lio ]
<ブラジルのポテンシャルな豊かさや自然美などを法外に誇示する態度、立場もしくは感情>
アウレーリオの辞典の方が的確に説明しているが、要はブラジル高揚主義のこと。
アウレーリオは、そのUfanismoなる言葉は、作家Afonso Celso の作品
Por que Me Ufano do Meu País(「わが国を誇りにするのは何故か」)に由来していると見ている。
Ufanismoは、以前にも詩を紹介しながら例示したが、歌曲や詩作を通じて表明される。
まずその典型を詩で見た後、かずかずの著名な歌のなかで表出されているものを例示したい。
Ufanismoが横溢する「ブラジルの水彩画」②
今日の広義のブラジル文化は、文芸評論家Afrânio Coutinho の言を借りれば、ポルトガルの政治的文化的な支配から遁れる、いわば脱植民地化(descolonização)の歴史でもあった。
現に、植民地時代当初から、ポルトガル本国による文化変容(aculturação)を嫌い、そうした支配、桎梏からの解放を望みポルトガル人を毛嫌いする(xenofobia)動きは、ナチヴイズモ(nativismo)のかたちで発現したりもしていた。その過程で、ここに紹介するUfanismoを詩全体に網羅した作品が生まれることとなる。
ヨーロッパから導入波及したロマン主義の思潮は、ナショナリズムが大きな特徴であることもあって、政治的独立後のブラジルは近代主義運動を経て今日まで、オーセンティックなブラジル的なもの、つまりbrasilidadeの追求・模索することに奔走した。
であるから、文学にかぎらず音楽の世界においても、brasilidade を全面に打ち出した、Aquarela do Brasil のごとき楽曲が少なくないのは、けして不思議なことではない。
先ずは、ufanismo を吐露した好例を拙訳でお見せしよう。言うまでもなく、自国の自然のありようを絶賛、称賛していることもあり、国民が愛国心をくすぐられる故か、双方の作品ともに広く人口に膾炙している。
ウファニズモに満ち溢れた「ブラジルの水彩画」③
---Yukitaka Kanedaさまのご質問に応えて---
日頃私が崇敬してやまない、超一流会社である日立製作所の経営に携わっておられるKanedaさん。そのKanedaさまは、ブラジルご滞在中、ポルトガル語を習得の折に、Aquarela do Brasil も教材にされたそうだ。
それかあらぬか、その楽曲の持つネガティブな側面について尋ねられた。
最後にAquarela do Brasil を翻訳するところで言及する予定にしていたが、正鵠を射たご質問であり、ご本人にお応えするついでに、順序を換えてAquarela do Brasilが批判の対象になっていることについても、このFacebookで紹介したい。
前にも触れたが、ブラジル文化や雄大な美しい自然、国家的な象徴になるものなどを誇らしげに歌い上げる歌詞から、国歌のようにみなされている。
しかしながら、他方においてその曲は、あまりにも理想化されたいわば盲目のウファニズムによって描かれているばかりか、ステレオタイプである、と観る人もいる。
そこにはこの国がかかえる病理的側面、例えば貧困、社会的不平等などの深刻な問題、多様性等が完全に無視、黙過され、ひたすら自国の美点のみを絶賛していることからであろう。この曲が痛烈に批判される所以もそこにあるようだ。
加えて、真偽の言説は定かではないが、時の軍事政権に与したものとみなされているのも、批判の的の一つになっているらしい。
ブラジルを称えた日本でも馴染みの楽曲であるものの、極度のウファニズモが表明された最たる例かもしれない。

ウファニズモあふれる 「ブラジルの水彩画」④---ブラジルを表徴もしく
はテーマにした楽曲---
As peças musicais que simbolizam o Brasil ou tema deste país
ブラジルの壮大にして美しい自然や、時には特異であるが独創的な文化は、文学のみならず、いやそれ以上に音楽において、オチミズムとで誇りをもって題材となり、絶賛の対象となってきた。そうした自国の事物に対する極度の誇示や高揚主義は、前回言及したように、批判されることにもなった。
がしかし、総じて愛国的な国民ゆえか、生み出される音楽の根底には、ufanismoを宣揚させる言葉が歌詞のなかに散りばめられている。
繰り返すがそれらは、溢れるばかりの絵画的な自然、地域的多様性に富んだ文化や伝統のみならず、サンバなどの音楽自体にも及んでいる。
もっとも、こうした歌詞が少なくないのは、ブラジル人であることの誇りを鼓舞させながら、愛国の感情や帰属意識(identidade nacional)を呼び起こす狙いが作詞家にあったからかも知れない。
事実、Aquarela do Brasilが公式ではないが国歌とみなされ、しばしば国の重要な行事や祭典で流される。過日のLulaブラジル大統領が訪日した折にも、演奏されたそうだ。
次回は、文化、社会のアスペクトだけでなく政治なテーマからもブラジルに接近した、いくつかの名だたる楽曲を参考までに挙げてみたい。
ウファニズムに溢れる 「ブラジルの水彩画」⑤ ---自然、文化の魅力以外
に、ブラジルの社会的、政治的現実を反映した楽曲の例---
Aquarela do Brasil repleta do Ufanismo---Exemplos das peças musicais que refletem a realidade social e política do Brasil, além da
atração natural e cultural
ナショナル・アイデンティティのシンボルとして、いわば国歌的存在のAquarela do Brasil。
しかしながら、そうした文脈からブラジルをテーマあるいはモチーフとした楽曲は他にもあまたある。良く知られているそのいくつかを以下に挙げるとしよう。
例えば、Jorge Ben Jor の「熱帯の国」(País Tropical)もその典型だろう。国の多様性とあふれるばかりの豊かさを歌に託しているからだ。

ウファニズムに溢れる「ブラジルの水彩画」⑥ 社会参加[アンガージュマン]の音楽としてのカズーザの「ブラジル」
Aquarela do Brasil repleta do Ufanismo“Brasil” de Cazuza como engagement
自然美や文化多様性の素晴らしさ、ブラジル性の表徴となるものを絶賛する一方で、そうしたufanismoとは真逆の、社会、政治などのいわばこの国のかかえる病理性を剔抉しながら、するどく批判した社会参加の音楽があったことも知るべきだろう。
得てしてこの種の音楽は海外にまで伝わることは、あまりない。
カズーザの曲である「ブラジル」は、その意味では国家を暗に批判した社会参加の音楽の好例かもしれない。
長期の軍事独裁政権に終わりを告げ、再民主化の時代を迎えたにもかかわらず、国が国民に誓った約束は果たされることはなかつた。
期待とは裏腹に国の公約は実現されず、民主主義の再来によって国そのものが良い方向に転ずるといった期待も薄れ、国民は失望し幻滅感を味わった。
Brasilは、そうした国の体たらくをカズーザ自身の認識を通じて、比喩的に表現したものになっている。
※前回のPaís Tropicalのところで、記述するのを失念したが、文字通りブラジルは熱帯の国である。つまり、92%が熱帯地帯(zona intertropical)に位置する。しかし、最南部は亜熱帯および温帯に属し、降雪することもある。

ウファニズモに溢れる「ブラジルの水彩画」⑦ ---ブラジルの国歌---
“ Aquarela do Brasil ” repleta do Ufanismo-Hino Nacional Brasileiro-
これまでにもブラジルの国歌については、詳しく述べてきた。
であるから詳述を避けるが、あの早いテンポのリズムで奏でられる旋律と美しい歌詞には、聴く度に感動させられる。
緑を基調にした国旗とて、然りである。わがセンターには、10を越えるブラジルの旗が本棚のそこかしこに設えられており、オーギュスト・コントの唱える実証主義の思弁をあしらった、青い天球儀の白い帯に書かれたOrdem e Progressoという文字と、連邦府および各州を表現する星々を眺めては、ブラジルへの耐え難い郷愁を癒している。
ところで、ウファニズモの最たるものはAquarela do Brasilではなくやはり、ブラジルの国歌だろう。私がこの歌に強く惹かれるのも、純然たるブラジルマニアであることに加えて、歌詞のなかにGonçalves DiasのCanção do Exílio(流亡の曲[うた])が取り込められ、格調高き文学性を合わせ持っているからである。
”われらが空はあまたきらめきて、われらが川辺は花盛り。われらが森は生気あふれて、われらの命は深き愛に満てり“
このようにブラジルの国歌は、光耀く南十字星の下、国家はむろん、美しい自然とそこに生きる強く勇ましい住民を絶賛・高揚しているのである。
歌詞を日本語に訳してみれば、Ufanismoが充満したものでありながら、民の仕合せと国の理想を綴った最高傑作のように私には思われる。
ウファニズモにあふれる 「ブラジルの水彩画」⑧ ショーロとサンバにで熱狂するブラジル人を歌詞にした“ブラジルレイリーニョ”
Aquarela do Brasil que está repleta do Ufanismo
---A letra musical que trata o entusiasmo do povo brasileiro envolvido com o choro e o samba: “Brasileirinho”---
ブラジル人のサンバやショーロに対する思いは、並々ならぬものがある。
もつとも伝統的な音楽ジャンルの一つであるショーロとサンバは、音楽の力を祭りの雰囲気へと容易に仕立てる。
カヴァキーニョ、パンデイロ、ギターなどの歌詞のなかでの言及は、その音楽に活気を与える重要な典型的な楽器であることを物語っている。
ブラジル人であれば多くがその音を聴くと、居ても立ってもいられなくなる。音楽の魔力とは恐ろしいものである。
歌は、”ブラジルレイリーニョ“が到来するところから始まる。彼は舞踊会の夜に集まった者全てを感動させ、誰一人として踊りを拒む者はいない。
歌詞はまさしくchorinhoが人びとを結びつけ、忘れがたき時を創り出す、魔力を持った存在であることを伝えているかのようである。
ともあれ、この楽曲はchorinho に対する敬意のみならず、表現形態と社会化としての音楽と舞踊を重視する、ブラジル文化を考えさせられるものにもなっている。
歌が伝える生気なり活力は、ブラジル国民の祭り好きの心やおもてなしの精神の現れのように思える。もちろんそこには、Ufanismoが垣間見える。
ウファニズモあふれる 「ブラジルの水彩画」⑨ ---国の有り様を批判もし
くは問題視した音楽の例:「狼の口」(Boca de Lobo)---
歌を通じてブラジルの様々な事象を絶賛・高揚したものは、この後でも取り上げる予定であるが、その一方で、この国がかかえる由々しき問題をテーマにしたものも少なくない。
その代表的なものは、今回扱うBoca de Lobo以外に、Que as Crianças CantemLivres、As Caravanas 、Negão Negraかもしれない。
Boca de Lobo なる楽曲は、「ブラジル諸問題研究」[Estudos de Problema Brasileiro]のなかでも宿痾的とも思われる、各地の都市中心に点在するファヴェーラ住民の社会的不平等や、都市暴力を批判したものである。Boca de Loboとは配水管を意味するが、歌詞では比喩的に使わられているようだ。
ウファニズモあふれる「ブラジルの水彩画」⑪---美しい平和な国でありながら、軍事政権の時代に国の汚点を剔抉して、国家と国民の有り様をまとめた楽曲:「この国とは」---
“Aquarela do Brasil” que está repleta do ufanismo
A peça musical : “Que País É Este” que revela as manchas nacionais na época do regime militar,apesar de ser o país bonito e pacífico ---
作詞家のRenato Russoは曲ののっけから、アマゾン、マット・グロッソ、ミーナス、北東部などには平和があることを認めつつも、ファヴェーラや国会議事堂のある上院にかぎらず何処にでも汚れ(汚点)があり、誰とても憲法や規則を遵守せず、それでいて国民は国の未来を信じている、と綴っている。
そして<この国>の有り様を疑問視する。その意味でまさに、“Que País É
Este”は内省的な側面を含みながら、社会的にも平等で汚職のない、公正な社会を求める一方、法を重んじる国民であって欲しいと願う、作詞家の願望が吐露されている。
むろん、歌詞自体、国民全てに遵法精神が欠如していることを意味するものではけしてないが、当時の軍事独裁を痛烈に批判した歌であることには変わりがない。
なお、Que País É Esteは、レナート・ルッソ率いる、ロック界でもっとも影響力のあるバンドの一つLegião Urbana によって演奏されている。