top of page

ブラジルにおける「出産のヒューマニゼーション」

執筆者:

大町佳代 氏(JICAドミニカ共和国事務所、企画調査員)

久野佐智子 氏(元JICAエルサルバドル 事務所、広域企画調査員


★★★この記事は執筆者の許可を得て伯学コラムに掲載いたします。原題の「ラテンアメリカにおける・・・」は「ブラジルにおける」と変更させて頂きました。★★★


ブラジルは出産時の帝王切開率が世界で1、2番目に多い国で、私立病院においてはほとんどの分娩が帝王切開だと言われており、過剰な医療介入が問題となっています。しかしその一方で、公的医療機関においては出産のヒューマニゼーションが根付いており、それを実現している国でもあります。そのような現場で働く医療従事者は、一人一人が正しい知識と技術を備え、女性中心のケアを実現するためにはどのようなニーズがあるのか、ということを深く考察し、それぞれがより質の高いケアを実施するための高いモチベーションと哲学を持っています。

 

(1)ブラジルのバースセンター

 

ブラジルでは、バースセンター(ローリスクの出産を扱う、医療介入を行わない自然分娩をケアするための助産施設)を「出産の家(casa de parto)」と呼び、妊娠中に異常のない場合には、誰もが出産施設として利用することができます(公的サービスのため、全て無料)。ここでは、助産師が中心となって自然分娩のケアを行なっており、基本的に医療介入は一切行わないことから、設備については分娩用のベッドや椅子、浴槽などがあるだけで医療機器類は必要最低限のみです。壁には、出産時の体勢について参考になるポスターが貼ってありました。建物は古く施設内はいたってシンプルで使い込まれた設備ではあるものの、すべてが清潔で整理整頓されており、スタッフにより丁寧に管理されていることがよくわかりました。



バースセンター内の様子。出産時に使う椅子やバランスボール。
バースセンター内の様子。出産時に使う椅子やバランスボール。

バースセンターでは、出産におけるすべてのケアを助産師が行います。出産する女性と家族の希望を聞き入れながら彼らが中心となるようなサポートをする助産師の姿勢は、出産ケアの主役は産婦であること、という意識で取り組まれていることを強く感じ、出産ケアのあるべき姿を見たように思いました。


出産時の体勢として参考にするためのポスター(フリースタイル)
出産時の体勢として参考にするためのポスター(フリースタイル)

 

バースセンターはローリスクの産婦が対象ではあるものの、出産ケアに関してはすべてプロトコールで管理されており、助産師は正常と異常の判断が的確にできるよう訓練されています。そして、万が一出産中に何らかの異常が起こった場合には敷地内に待機している救急車ですぐに提携している病院へ搬送できる仕組みが整っていることから、医療面のニーズにおいても安心して利用できるようになっています。


バースセンター(出産の家)
バースセンター(出産の家)

(2)ブラジルの母子手帳について

 

 ブラジルの母子手帳は正確には「母親手帳」で、基本的に妊娠中から出産までが対象です。妊娠中の検査結果やお母さんとお父さんの気持ちを書き込む欄があり、妊娠中や出産時の過ごし方、出産後の育児に関する情報が盛り込まれています。日本の母子手帳と異なる点は、まず妊婦へのメッセージとして、「妊娠を喜びとして捉える女性もいれば、思いがけない出来事に戸惑っている女性もいるでしょう。さらに10代の妊娠であれば尚のこと。」と、女性が妊娠に至ったさまざまな背景を考慮していること、また10代の望まない妊娠のケースも多いというブラジルの事情を鑑みたメッセージとなっています。ブラジルに限らず、他のラテンアメリカ諸国でも同じような状況はありますが、こういった妊娠や出産に関する媒体においては、マイノリティについては特に言及されず、あくまで「一般的な」妊娠・出産が対象である印象を受けます。そのような意味では、このブラジルの母親手帳は「すべての妊産婦」に寄り添うメッセージが込められているように感じられます。

他に、ブラジルの母子手帳には陣痛中の過ごし方や出産の体位について、イラストを入れて具体的に説明されています。出産の体位は基本的にフリースタイル(分娩台の上ではなく、産婦が出産しやすいと感じる自由な体勢)で、しゃがんだ姿勢でバーを掴んでいたり、片膝を床に付いてもう片方を立て膝にしたり、パートナーに身体を支えてもらうなど、女性自身が心身ともに楽だと思える体位を選べるような説明で、リラックスした様子が伝わって来ます。世界の医療施設における出産現場では、まだまだ分娩台を使う仰向けになった体勢が一般的であることからも、ブラジルの公的医療機関の出産ケアは科学的根拠を基に、一歩先に進んでいると言えるでしょう。

 

(3)ブラジル、ソフィアフェルドマン病院

 

 ブラジルのミナス・ジェライス州にあるソフィアフェルドマン病院は地域の人々のサポートにより設立され、現在はローリスクからハイリスクまで数多くの分娩を扱う地域の中心的な公立の母子病院です。病院が設立された当初から出産のヒューマニゼーションに対する意識の高い医師らが関わり、院内の産科ケアの質を高めることに全身全霊を注いできました。これは、決して最新の医療機器や複雑な治療法を採用するという意味ではなく、「女性を中心に据えた産科ケア」で、母子にとってより安全、且つ女性の出産する力を奪うことのないよう、過剰な医療介入を行わないための知識や技術を備えている、ということです。ソフィアフェルドマン病院は、現在でも病院としての設備は至ってシンプルではあるものの、そこで働く医師や助産師はチームとなってより質の高い産科ケアを提供すべく、日々努力している様子が伺えます。この病院は公立病院であることから一切料金はかからないため、経済的にゆとりのない家族から所得の高い家族まで、出産においてより質の高い産科ケアを望む女性がソフィアフェルドマン病院を選択しており、そのケアに対する満足度は非常に高いと言われています。

 

 ソフィアフェルドマン病院で長く働くある医師は、「私は、(異常のない)普通分娩のケアはこの病院に来てから助産師に教えてもらった。」と言います。それまで、普通分娩でも当たり前のように医療介入を行い、医師としてそれが出産ケアだと思っていたが、実際は過剰な医療介入を行うことで女性の出産する力を奪っていたということ、本来は子どもが産まれるという大切な家族イベントであるはずの出産を、医療従事者中心になって貴重な瞬間を奪っていたことに気づいた、と語りました。正常な出産のときには、母子の健康状態を確認しながらそばで「見守り、待つこと」がケアの基本だと言います。

 

ソフィアフェルドマン病院で出産された女性と赤ちゃんの写真や動画には、生き生きとした表情や穏やかな様子、家族が全員で喜びを分かち合う瞬間が捉えられており、この病院スタッフが目指すケアの結果が反映されていることがわかります。

 

(4)出産のヒューマニゼーションがもたらす影響

 

私たちがブラジルのバースセンターを訪れた時、そこで出産されたという産休中のスタッフやお母さん方が子ども達を連れてバースセンターに遊びに来ていました。特にこれといった用事はなく、ただスタッフに会いに来たという感じで、「この子はここで産まれたのよ。」と話してくれ、とても和やかな雰囲気でした。バースセンターで出産経験のあるお母さんも、そこで働く助産師も、「ここだったら、また出産したいと思えるの。」と、生き生きとした表情で語ってくれ、女性にとって出産体験が非常にポジティブであることを印象付ける感想を伝えてくれました。

 

女性にとって出産経験というのはその時だけのことではなく、その後の母親としての考え方や価値観に大きく影響します。     だからこそ、バースセンターでもソフィアフェルドマン病院でも、スタッフは母子の安全と同じように出産のヒューマニゼーションに価値を置き、より質の高い産科ケアの実現を目指すのです。


bottom of page