沖縄の楽器で、ブラジル音楽を奏でる―サンパウロのおきなわ祭りにみる文化の翻訳
- 7 日前
- 読了時間: 11分
加藤 勲 氏
フェリス女学院大学音楽学部/グローバル教養学部
沖縄県立芸術大学芸術文化研究所
沖縄の太鼓から聞こえたバイアォン(Baião)
サンパウロ市東部のビラ・カホン(Vila Carrão)では、在ブラジル沖縄県人会ビラ・カホン支部によって、例年、おきなわ祭り(Okinawa Festival)が開催されます。その舞台で、沖縄の締太鼓と平太鼓から、ブラジル北東部を代表する音楽、バイアォンのリズムが聞こえてきました。 演奏されていたのは、沖縄民謡をバイアォン風に編曲した曲ではありません。ルイス・ゴンザーガが広く知らしめたブラジル音楽の〈バイアォン〉です。バイアォンでは一般に、ザブンバ、アゴゴ、パンデイロなどのブラジルの打楽器が低音と高音を分担します。ところがこの演奏では、その役割を平太鼓と締太鼓が担っていました。合奏には三線も加わり、ブラジルの楽曲が、沖縄由来の楽器の音色によって新たな色彩を帯びていました。この光景は、私が沖縄県立芸術大学芸術文化研究所の『沖縄芸術の科学』第38号に発表した論文「翻訳される沖縄音楽――波形解析によるサンパウロおきなわ祭りにおける沖縄民謡リズムの分析」の中心的な問いにつながっています。
ブラジルへ渡った沖縄文化が、どのように保存されているのか。それだけではありません。ブラジルで暮らす沖縄県系人は、ブラジル音楽文化を実践する際に、沖縄の楽器をどのように用いているのか。私はその問いを、現地での参与観察、演奏者への聞き取り、録音、演奏技法の観察、そして波形解析から考えました。
「枝葉の末端」ではない、その先へ
ブラジルにおける沖縄音楽については、すでに重要な研究が積み重ねられています。ブラジルの県系人が継承してきた音楽は、沖縄県内の音楽の不完全な複製ではなく、現地の人々によって築かれてきた伝承の一つの系譜である。この点は、本論文に先立つ研究によって明確に示されてきました。したがって、私の論文の目的は、サンパウロの沖縄音楽が「本物かどうか」を改めて判定することではありません。また、その実践の価値を外部から認定することでもありません。
私が注目したのは、その先にある文化実践です。すなわち、沖縄県内の文化を保存・再現しようとする営みだけでは捉えきれない、県系人がブラジル文化を表現する中で、沖縄に由来する楽器や音色、旋律をどのように用いているのかという問題です。沖縄文化がブラジルでどのように残されているかではなく、沖縄の要素がブラジル文化の実践の中で、現在どのように働いているのか。このように問いの向きを変えることで、これまで十分に記述されてこなかった音楽の姿が見えてきました。
ポルトガル語で営まれる「沖縄」
私が調査したのおきなわ祭りは、2007年に沖縄の文化、芸術、舞踊、音楽、料理、風習を紹介するサンパウロ市の公式行事として、法律上も位置づけられました。現在では、多くの市民が訪れる地域の祭りに成長しています。私は2015年から2025年にかけて、この祭りと周辺地域で調査を重ねてきました。会場でまず気づくのは、屋台の表示や案内、場内アナウンスの中心がポルトガル語であることです。日本語や琉球・沖縄の言葉も見られますが、それらは情報を伝えるだけでなく、沖縄や日本とのつながりを視覚的に示す記号としても働いています。例えば、ゴーヤは、ブラジルでは一般にメロン・ジ・サン・カエターノ(Melão-de-São-Caetano)と呼ばれますが、会場では沖縄由来の食材として「GOYA」と表示されます。その文字は、食材の名称を伝えると同時に、「これは沖縄に結びついた食文化である」と来場者に知らせています。
こうした言語の使われ方を、日本語や沖縄の言葉が失われた結果とだけ捉えると、祭りを運営する人々の創造的な働きを見落としてしまいます。ポルトガル語は、県系人の多くが日常を営む生活の言語です。祭りは、沖縄県内の文化をそのままサンパウロへ移した空間ではなく、ポルトガル語を話すサンパウロ市民に向けて、県系人が沖縄文化を提示する公共の場としても設計されています。会場で話を聞いた40代の女性は、「ここには本物の沖縄があるでしょう?」と私に語りました。また、30代の男性は、沖縄の文化はほかの日系文化とは違っていて面白く、種類が多くて豊かだと話してくれました。ここでいう「本物」を、沖縄県内の文化との同一性を証明する言葉としてではなく、来場者がこの場所に沖縄とのつながりを感じ取った語りとして、私は受け止めています。これらの言葉からは、祭りがサンパウロ市民にとって沖縄と出会う場になっていることがうかがえます。言葉の使い分けは、音楽に先立って行われる一つの文化的な翻訳なのです。

ブラジルの形式に、沖縄の楽器を置く
この翻訳を音楽の側から最もよく示すのが、「ホーダ・ジ・サンシン(Roda de Sanshin)」です。ブラジルには、演奏者が円になって向かい合い、歌いながらサンバを演奏する「ホーダ・ジ・サンバ(Roda de Samba)」という音楽文化があります。演奏を一方向から指示する指揮者を置かず、演奏者同士が音や身体の動きから合図を受け取り、相互にリズムを調整する場です。ホーダ・ジ・サンシンでは、このブラジルの演奏形式が、三線、パーランクー、締太鼓、平太鼓などの沖縄の楽器によって実践されます。演奏者は円形に座り、その周囲から観客が演奏を見守ります。そこで歌われるのは沖縄民謡です。演奏者に、ふだんもこの形で演奏するのかと尋ねると、「祭りのステージで披露するために練習したんだ」という答えが返ってきました。ホーダ・ジ・サンシンは、日常的に続くホーダ・ジ・サンバとは違い、この祭りの舞台のために整えられた芸なのです。
ここでは、非物質的なブラジル文化であるホーダ・ジ・サンバの形式に、三線や太鼓という物質的な沖縄文化が置かれています。さらに、沖縄由来の楽器編成と沖縄民謡が重ねられています。これは、沖縄音楽を単に「ブラジル風」に編曲したものとは異なります。ブラジルで親しまれてきた音楽文化の形を、沖縄の楽器によって実践する試みです。楽器は、保存・継承のみを目的として、そこにあるのではありません。演奏者が手に持ち、打ち、弾き、ブラジル社会の中で現在の音楽をつくるための楽器として働いています。三線やパーランクー、締太鼓、平太鼓は、外観によって沖縄とのつながりを示すと同時に、それぞれに固有の音色をブラジル音楽の中へ持ち込みます。「沖縄の楽器で、ブラジル音楽を奏でる」という実践が、ここにあります。
パーランクーに接続されたサンバの奏法
楽器の使い方にも、同じ関係が見られました。ホーダ・ジ・サンシンでパーランクーを演奏していた奏者は、バチで表側の膜を打つだけでなく、楽器を持つ手の中指で裏側から膜を打っていました。これは、サンバで用いられるタンボリン(tamborim)の「テレコテコ(teleco-teco)」と呼ばれる奏法に見られる演奏技術です。パーランクーとタンボリンは、形と大きさに共通点をもつ片面の膜鳴楽器です。そのため、タンボリンで身につけた奏法をパーランクーへ応用することができます。
ここで起きているのは、沖縄の奏法をそのまま維持することでも、パーランクーをタンボリンの代用品にすることでもありません。演奏者がブラジルで身につけた身体技法を、沖縄の楽器に接続しているのです。その結果、観客にはサンバで親しまれた手の動きとリズムが示される一方、パーランクーに固有の外観と音色が届けられます。先に触れたバイアォンの演奏でも、同様のことが起きていました。ブラジル音楽に特徴的な低音と高音の役割分担を、平太鼓と締太鼓が担います。ブラジルの楽器を比較的入手しやすい環境にありながら、あえて沖縄の楽器でブラジル音楽を奏でる。その選択からは、自らのルーツをブラジル社会の中で保持しながら、現在の音楽をつくる県系人の姿が見えてきます。
拍の内側に現れたブラジル
文化の翻訳は、楽器の外観や奏法だけでなく、耳では捉えにくい拍の内側にも現れます。ホーダ・ジ・サンシンで演奏された〈安里屋ユンタ〉と、沖縄県内で演奏された同曲を比較すると、楽譜上は同じように記せるリズムでも、実際の発音タイミングには違いがありました。私が分析したのは、四分音符一つと八分音符二つからなる三音のフレーズです。録音した音を波形として表示し、それぞれの音が拍のどの位置で発音されているかを比較しました。
今回分析したサンパウロの演奏では、フレーズの第3音が基準となる位置よりも早く発音され、その音から次の拍までの時間が長く取られていました。一方、比較対象とした沖縄県内の演奏では、第3音が基準と同じか、やや遅い位置で発音されていました。サンパウロの演奏に見られた、第3音を早め、次の拍までの間を広く取る特徴は、カーニバルで演奏されるサンバの拍内構造と通じています。
ただし、演奏者は「カーニバルのサンバを参考にしたのか」という私の質問に対して、参考にはしていないと答えました。つまり、サンバのリズムを意識的に沖縄民謡へ移したわけではありません。ブラジルで生活し、音楽に触れる中で獲得されたリズム感覚が、意識されないまま演奏のタイミングに現れた可能性があります。
もちろん、今回比較した演奏だけから、サンパウロの県系人による沖縄民謡全体を一般化することはできません。重要なのは、「何となくブラジルらしく聞こえる」といった印象にとどめず、その違いが拍の内部のどこに現れているのかを、実際の録音から示せたことです。演奏者の耳で違いに気づき、波形によって発音タイミングを確かめ、その背景を演奏者の経験と文化的環境から考える。これは、打楽器奏者として現場に関わってきた私だからこそ試みることができた研究方法だと考えています。
県系人であることにも、一つの形はない
おきなわ祭りを支えている人々を、一様に「沖縄文化の熱心な継承者」と考えることにも注意が必要です。県人会の活動に積極的に参加する人がいる一方、日常的には県人会と距離を置いている人もいます。幼いころには県人会館で過ごしていても、成人後は足を運ばなくなった人もいます。親戚に頼まれたときだけ祭りを手伝う人もいます。「日本語や沖縄の言葉で、知っている言葉はありますか」と尋ねると、ある県系人は「じっちゃん、ばっちゃん。それだけだよ。沖縄の言葉もわからない」と答えました。そしてその方は、「私のルーツは沖縄だよ」とはっきり語りました。
県人会への参加、日本語や沖縄の言葉を用いる能力、沖縄文化への関心の強さは、必ずしも一致しません。県系人であることと、特定の文化実践に熱心に参加することも同じではありません。沖縄にルーツをもつ人々が、ブラジル社会の中でどのように自らのルーツと関わるかには、さまざまな形があります。その距離や選択を含めて記述することが、サンパウロの沖縄コミュニティへの敬意につながると考えています。県系人の文化実践を、沖縄県内の文化の継承や普及に積極的に取り組む人々だけから捉えてしまえば、県系人がブラジル社会の中で生きている現実の多くを見落としてしまいます。おきなわ祭りで表現される文化も、積極的な担い手だけでなく、県人会から距離を置く人々、ポルトガル語を話す来場者、地域社会から寄せられる期待との関係の中で形づくられています。
二つの土地から育てられた耳
サンパウロと沖縄は、私にとって単なる調査地ではありません。サンパウロでは、音楽を学び、打楽器奏者として多くの演奏者と音を重ねました。言葉だけでは説明できない拍の感覚や、音を出す身体の構えを、演奏の現場から教えてもらいました。沖縄では、沖縄県立芸術大学大学院で民族音楽学を学び、音楽を歴史、移民、地域社会、人々の記憶と結びつけて考える視点を得ました。現在も芸術文化研究所の共同研究員として、沖縄から音楽文化を考える機会をいただいています。そして、サンパウロのおきなわ祭りでは、この二つの土地が音の中で出会っていました。本研究は、県人会、演奏者、祭りの関係者、そして語りを聞かせてくださった方々の理解と協力なしには成立しませんでした。
私は、そこに存在する文化実践を、音色、奏法、身体の動き、拍の内側のタイミングまで含めて記述したいと考えています。演奏者の耳で差異に気づき、録音と波形で確かめ、人々の語りと地域の歴史から、その意味を考える。演奏実践、音響分析、フィールドワークを往復することが、私の音楽研究の方法です。おきなわ祭りには、沖縄県内の文化を保存・継承しようとする実践と、沖縄由来の楽器や旋律をブラジル音楽文化の中で働かせる実践とが、ともに存在しています。それは、親族や県人会を通じたつながりだけでなく、祭りから距離を置く県系人、来場するサンパウロ市民、地域社会から寄せられる期待との関係の中で育まれてきました。そこには、沖縄文化をブラジル社会の内部で継続するために、人々が積み重ねてきた工夫と知恵があります。本論でいう文化の翻訳とは、まさにこの過程です。
こうした文化実践は、誰によって、どのように育まれ、継続されてきたのか。沖縄の楽器でブラジル音楽を奏でる一打が生まれる場に耳を澄ませながら、今後もその過程を、より深く研究し、記述していきたいと考えています。
---
掲載論文・閲覧
加藤勲 2026年 「翻訳される沖縄音楽――波形解析によるサンパウロおきなわ祭りにおける沖縄民謡リズムの分析」、『沖縄芸術の科学』第38号、沖縄県立芸術大学芸術文化研究所、31–48頁。
掲載号案内・全文閲覧
沖縄県立芸術大学芸術文化研究所
著者紹介案
加藤 勲(KATO, Isao)。打楽器奏者・音楽研究者。ブラジル・サンパウロでドラム/パーカッションを学び、沖縄県立芸術大学大学院で民族音楽学を専攻。ブラジルのエスコーラ・ジ・サンバに打楽器奏者として参与しながら、演奏実践、フィールドワーク、制度資料、録音資料の波形解析を横断し、音楽と都市社会、移民文化の関係を研究している。フェリス女学院大学音楽学部/グローバル教養学部非常勤講師、沖縄県立芸術大学芸術文化研究所共同研究員。



