日本文化を支えるブラジル人=センシ社のフェルナンドさん=コロニアの味伝える食材
- Wakana Iwata
- 6月5日
- 読了時間: 6分
★★この記事は執筆者の許可を得て、伯学コラムに掲載させて頂きました。★★
執筆者:深沢 正雪 氏(ブラジル日報紙編集長)

バイア生まれでスザノ育ちの北東ブラジル人
「2歳の時から仕事しているよ。物心ついた時から再生品や紙を集め、5歳でサトウキビ
畑、コシーニャやパモーニャを売り歩いたり、大きくなったらペドレイロとか何でもやっ
た。15歳の時、初めて着いた定職がスザノの高木醸造食品で、カマボコとかチクワとか魚
の練り物を作る仕事を5年間やった。高木さんがイペランジアホーム(サンパウロ日伯援
護協会傘下)の運営委員をやっていて、母はそこで働いていた。その関係で知り合って、
高木さんは僕に仕事を紹介してくれた。そこから自分の人生は変わった。高木さんには本
当に恩義を感じている」と語るのは、北東ブラジル出身の苦労人経営者センシ・ブラジル
(Senshi & Cia Ltda)社長のフェルナンド・ブランドンさん(45歳)だ。
ブラジルの日本食レストランの寿司マンにはバイア州出身者が多いと言うのは、以前か
ら有名な話だが、すでに「日本食材生産の大黒柱の一本もノルデスチーノ(北東ブラジル
人)」と言う時代になった。
父はバイア州出身、母はペルナンブッコ州出身。本人はバイア州が誇る観光地フェイラ
・デ・サンターナで生まれ、5カ月で親に連れられてサンパウロに出、スザノ市で育った
。「バイアのことは、ほどんと覚えていない。戻ったこともないしね。でも実は近々訪ね
てみようかと思っている」と笑う。
冒頭の幼年期を過ごした後、まだ日本移民がたくさんいた頃のセアザの卸売店で2年半
働き、彼らが日本食材を欲している姿を間近に見て日本食材の自営営業員となり、22年前
からリベルダーデの日本食材店に売り込む仕事を始めた。2013年8月16日、スザノ市の自
宅ガレージで日本式クッキーの製造販売をはじめ、製品の幅を広げて現在に至る。
従業員は32人にも増え、サイト(https://senshibrasil.com/)を見ると餃子、肉饅頭、
餅製品、たくあんや味噌漬けや粕漬け、コンニャク、ガリなど計60種類近い商品を製造販
売している。主力商品は餃子で、牛肉、豚肉、鶏肉、野菜、シメジの5種類もある。餃子
はサイト上では「Massa」(パスタ)として分類され、厚めの皮とたっぷりの具材が特徴
だ。
リベルダーデには中国人が作る中国式餃子も大量に売られているが、それに対抗するよ
うに「日本式」を謳うコロニア餃子は同社が先頭に立っている。

大晦日のリベルダーデ餅つきに紅白餅供給
彼の自慢は、大晦日にリベルダーデ文化福祉協会が主催する「餅つき」で来場者に無償
配布する2千袋の紅白餅の製造を、池崎博文会長時代から任されていることだ。かつては
金沢菓子店などいくつかの日系生産者が担っていたが、通常の商店への出荷を怠らずに、
臨時にこれだけ大量の餅を納期を守って生産できる業者は珍しい。「池崎さんから最終的
に全幅の信頼を得ていた」と胸を張る。
日本へも2回旅行した。1回目は2023年9月に20日間。「本当は親族一同に内緒で、僕ら
の結婚25周年を盛大にやろうと周到に準備していたんだけど、直前に妻の父が亡くなった
。それで祝うべきでないと決断し、そのお金で子供の頃からの夢だった日本行きを実現す
ることにした。日本語は全くできないから、ガイドを雇って観光地巡りをしまくった。本
当に素晴らしい体験だった」と振り返った。
ブラジルを出たことのなかった大サンパウロ市圏在住の北東ブラジル人が、日本食材会
社で稼いだお金で、結婚25年周年で念願の日本に旅行したというエピソードは、実にブラ
ジル的だ。日系人という存在が、ブラジル社会に及ぼしている影響の一端を、如実に表し
ている。
フェルナンドさんの「日本のタクアンをあちこちで食べたが、気に入らなかった。ブラ
ジルのタクアンの方がもっと味がしっかりしている」という興味深い言葉からは、彼の商
品が〝コロニア日本食〟の味になっていることが伺われる。コラム子が群馬県大泉町のブ
ラジル食材店で仕事をしていた頃、現地のブラジル人コミュニティでは「日本の醤油は美
味しくない」「サクラ醤油はないのか」「日本の砂糖は味が違う」などと言われていたか
らだ。コロニア日本食の味で育った人間にとって、そちらの方が「日本食の味」になって
いる。同じことが、おそらくセンシにも言えるのかもしれない。

自分を「ヤスケ」と感じるフェルナンドさん
フェルナンドさんは昨年2度目の訪日をした。「あの時、僕は自分がヤスケに似ている
と感じた」と興味深いコメントをした。
「弥助」はモザンビークの出身で、イエズス会のイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴ
ァリニャーノが来日する際にインドから連れて来られ、安土桃山時代の日本に渡来した初
めての黒人男性だ。宣教師から織田信長へと進呈され、信長が死去するまでの約15カ月間
、彼に仕えた。
『信長公記』巻十四には「二月廿三日、きりしたん国より黒坊主参り候。年の齢廿六、
七と見えたり。惣の身の黒き事、牛の如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも、強力
十の人に勝たり」と記されている。
ルイス・フロイスやロレンソ・メシアの書簡によると、信長はその肌が墨を塗ったもの
でなく自然のものであると信じずに、帯から上の着物を脱がせ、体を洗わせたところ、白
くなるどころか一層黒くなったとされる。
2021年にSFファンタジー時代劇のアニメ作品『Yasuke -ヤスケ-』となり、ネットフリ
ックスで全世界独占配信された。25年には映画化の話も出ている。
日系社会におけるフェルナンドさんの存在は独特なもので、彼としてはヤスケ的な何か
を感じているようだ。とはいえ現在、スザノ文化協会の副会長も務め、卓球など数々の選
手の経済的支援もするなどボランティア活動にも熱心だ。
社名「センシ」の意味を尋ねると、「GUERREIRO(戦士)」だという。そしてロゴに入
っている漢字「捷」の意味は、①早い、②勝ち戦だ。まさに、彼の存在はブラジル版ヤス
ケかもしれない。

同席したインフルエンサーの幸地レアさん(@lea_por_ai)も、「彼のように日系人では
ないのに、日本文化に強い関心を持ち、日本文化を広げることに多大な貢献をしている人
の存在はとてもありがたい」と評した。まだ同じく同席したインフルエンサーの金子エジ
ソンさん(@AchadosdaLiberdade)も、「僕も彼のような存在は、日系社会にとっても貴
重だと思う」と相槌を打った。
フェルナンドさんに今後の展望を尋ねると「数年以内に糖尿病の人でも食べられるよう
なダイエットの商品ラインを作りたい」との抱負を述べた。
日本語教師、日本食レストランの寿司マン、日系団体の会長や役員が次々に非日系人に
なる時代がやってきた。日本食材加工会社もしかり。非日系人からの力強い支援を受けな
がら、日本文化や日系文化を普及するのがこれからスタイルのようだ。(深)