ブラジルの芸術 ⑪
- Wakana Iwata
- 5月30日
- 読了時間: 10分
★★この記事は執筆者の許可を得て、伯学コラムに掲載させて頂きました。★★
執筆者:田所 清克 氏(京都外国語大学名誉教授)
ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ⑰ Cinema Brasileiro ao longo da história
Graciliano Ramos 著 Vidas Secas 田所清克 試訳 ⑤
そして、そのインコは言葉はしゃべれず、役立たず、と自分で宣告して、言い訳した。もともと、家族のものはあまり口を利かなかった。そして、あの災難が起きてからというものは、誰も無口になり、たまに短い言葉を発するだけであった。インコは、いもしない牛を追って歌い、犬をまねて吠えた。
ナツメの木々の斑点が再び見え始め、フアビアーノ
は歩みを速め、餓えと疲れをを忘れ、けがのことも忘れた。サンダル靴のかがとは磨り減り、痛々しく割れ目のできた指の間の生皮を裂いた。ひずめのように固いかがとはひび割れ、血を出していた。
道の曲がり角に柵の端が見え、食べものにありつける期待が胸いっぱいになり、歌でもうたいたい気持になった。しゃがれた、いやな声を発していたが、喉を損なわないために声を出すのを止めた。
皆は川岸を通り過ぎ、柵に沿って坂を上りナツメ木立にたどり着いた。日影を見るのは久しぶりだった。
着物の包のように下においている子供たちに、ヴイトーリアは、そっと、ぼろ切れをかけてやった。
ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ⑱ Cinema Brasileiro ao longo da história
Graciliano Ramos 著 Vidas Secas ⑥
めまいで倒れていた一番年上の男の子は目をさました。枯葉の上にうずくまり、木の根に頭をもたせて眠っていたのだった。そして目を開けると、ぼp⁰⁰queがやって来て、男の子のわきにうずくまった。無人の農園の中に、皆は入り込んでいたのであった。家畜の囲いは荒れ果て、山羊小屋はこわれてしまい、牧夫の家も閉まっていて、どう見ても立ち退きしたもののようであった。家畜は死に、住民たちは逃げてしまったのに違いなかった。フアビアーノは牛の首鈴の音が聞こえはしないか、と耳をすませたが、音はしなかった。家に近づき、戸をたたき強く押してみた。どうしても戸が開かないので、一面、植物が枯死している庭地に入りこみ、くずれかけた住居を回って裏庭にたどり着くと、空っぽの粘土採掘場があり、しおれたカーテインガの木立、一本のターバン•サボテン、そして、柵囲いの増設部分が目に入った。片隅の棒杭によじのぼって、うずたかい白骨の山と、ハゲ鷹たちの群がっている黒い塊を
仔細に眺めた。棒杭を下り、炊事場の戸を強く押した。がっかりして帰り、ちょっとの間、差掛小屋で、皆が泊まることを考えていた。
Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ⑲
Cinema Brasileiro ao longo da história
Graciliano Ramos 著 Vidas Secas
田所清克 試訳 ⑦
ナツメやしの木立に帰ってみると、子供たちは眠り込んでしまっていて、それを起こしたくはなかった。フアビアーノは、木っぱをさがしに行き、山羊小屋から、白蟻に半ば食われた木を一抱えして来、アナナスの株を引き抜いて、すっかり焚火のしたくをととのえた。
そのときバレイアは耳をそばだて、鼻の孔をめくり上げ、数多いるてんじくネズミ[preá]の臭いを感じとった。ちょっとの間、くんくん嗅(か)いで、近くの小山にもいると分かると走り出した。
フアビアーノは犬を目で追つた。そして驚いた----影が一つ、山の上を通り過ぎたのだ。妻の腕をつついて、空を指した。二人はしばらく、太陽の輝きにじっと堪えて立ちつづけた。涙をぬぐった。ため息つきながら子供たちのそばに行ってしゃがんだ。そこで二人はしゃごみ続けた。雲が恐ろしい青、あの目のくらむ、人を狂気に追い込むあの青が雲をかき消してしまいはすまいか、とおびえながら。
●これが作品冒頭の、牧夫フアビアーノ一家が餓えに
苦しみながら、旱魃から逃避行するシーンと奥地
caatinga 地帯の自然•生態学的な描写である。
この作品の結構とおよその梗概については、拙稿
で触れている部分があるので付すことにしたい。
なお、論考でも記しているように当初、作品の題 名はVidas Secas ではなくて、O Mundo Coberto de Penas(「羽(痛苦)で覆われた世界」)であった。
ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ⑳ Cinema Brasileiro ao longo da história
数回に亘り、Graciliano Ramosの畢生の大作(Uma obra importante de toda vida do escritor)で、Nelson Pereira dos Santos 監督によって映画化されたVidas Secasの舞台となる、北東部奥地のcaatinga 地帯の自然風土と住民の社会不安、経済的困窮などを、実際に作品描写を通して見てきた。
これまで、北東部の概要のなかでも述べているように、私はこの北東部奥地におよそ1ヵ月逗留しながら、現地の自然、社会、sertanejos(奥地の住民)の生活などを調査したことがあるので、作品はむろん、映画化されたものがよく理解できる。
Glauber Rocha 監督の「太陽の土地の神と悪魔」を含めて、Nelson Pereira dos Santos の、専横な農村貴族(農園主あるいは牧場主)からの搾取、無情きわまりない旱魃に苦しむretirantesを描いたVidas Secas の映画作品がなければ、北東部は知られるここはなかったであろう。
北東部は今でも、当のブラジル人にとっても未知の世界であり、「もう一つのブラジル」と言われる所以である。
ブラジルの芸術 Arte brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ㉑ Cinema Brasileiro ao longo da história
1965年の映画「サンパウロ株式会社」(São Pau-
lo Sociedade Anônima) は、Luís Sérgio Personによって制作された。外国の自動車産業の誘致の結果、殷賑をきわめ幸福感にひたるパウリスタ、中でも中流階層のかかえる問題に光をあてて鋭く迫った作品の一つである。
社会変化の過程で出来する中間層の間での紛争を深く分析した、Paulo César Saraceni 監督の作品「O Desafio 」(1965年)も同じ類いのものと解されよう。
同種のテーマの映画といえば他に、1967年にClauber Rochaが制作した「トランスの土地」(Terra em Transe)を加えるべきだろう。この国の社会的、政治的変化を活写している点で評価され、同年カンヌ映画祭において批評家賞をうけている。
都会をテーマにしたものとしては、Walter Hugo Khouriの制作したものが挙げられよう。サンパウロという巨大都市の幻滅した世界から現実逃避(fuga da realidade)する意味で、薬物中毒症に溺れる孤独な人間が生きることの困難さを覚え、金、セックス、倦怠さの日常。そんな人間模様を描いたのが、「空虚な夜」(Noite Vazia)である。

ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ㉒ Cinema Brasileiro ao longo da história
1960年代末になると、1922年の「近代芸術週間」によって燎原の火のように燃え盛る近代主義運動の目指すべき方向なり命題に対して、トロピカリズモ(Tropicalismo = Tropicália)は論理的な結論を下した感がする。
結果として、外国からのいかなる影響も、ブラジル的な作品に作り変えることを余儀なくされ、回避されたように思う。
Oswald de Andrade の1967年の「王の蝋燭」(O Rei da Vela)は、トロピカリズモの概念に基づいて、寓話を用いなからブラジル問題を取り上げるものであった。この種の傾向は、映画においても現れるようになった。
その産物の一つが1968年、ベルリン映画祭で銀熊賞をとったWalter Lima Jr.の「ブラジル、2000 年」(Brasil Ano 2000)である。
のみならず、Carlos Diegues の「相続人」(Os Herdeiros)、Glauber Rocha の、1969年スペイン•ベナルマデナで行われた国際映画祭で一位を獲得した「聖戦士対悪の竜」(O Dragão da Maldade contra o Santo Guerreiro)[国際的にはAntonio das Mortasの題名でしられている]、Nelson Pereira dos Santos の制作した「何と美味しかったことか私のフランス人」(Como Era Gostoso o Francês)[この作品は、1594年に一人のフランス人冒険家がtupi-nambá族に囚われの身となり、処刑される前に先住民族の習慣を学んだことや、インディオの女をあてがわれたことなどのストーリーを描いている]なのかもしれない。
が、そうした作品よりも重要なものとしてみられるのは、Joaquim Pedro de Andrade による「マクナイーマ」(Macunaíma)である。Mario de Andrade の同名の小説を下敷きにしたそれは、chanchada を再構築したばかりか、マクナイーマに象徴されるブラジル人男性の理想像ともいえる神秘性を取り除いたともいわれる。
ちなみに、この映画は1970年の映画祭でMar del Prata賞の栄誉に輝いている。そして映画では、シヤンシヤーダ俳優の一人であるGrande Oteloが演じている。

ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ㉓ Cinema Brasileiro ao longo da história
1969年までにはCinema Novoはすでに、均質的な様相を呈する運動ではなくなっていた。つまり、個人的な好尚、市場の新たな現実、映画界の政治的圧力が、Cinema Novoが当初目指していた指向なり主張とは異なるものに変容した感がする。
そんな中、新たな提案を携えた監督集団がリオとサンパウロに結成されることになる。独立したこの集団に属する彼らは、低コストの映画を製作することに困難を覚えたが、最新でくだらない自滅的な映画という名で知られる運動の推進者であった。
まず、この集団を指揮した一人Júlio Bressaneの二つの作品「家族を殺して映画館に行った少年」(Matou a Família e Foi ao Cinema)と「天使は生まれた」(O Anjo Nasceu)、特に前者は、その内容の残忍性からも目を引く。
Rioを舞台としたそれは、中流家庭の少年Bebetoを巡って展開する。口論の末に両親を殺した後、すぐ映画館に出向く。そこで上映されている「愛の破滅 (Perdidas de Amor)なる題名からなる複数の事件を目の当たりにすることとなる。
例えば、①裕福な女が結婚生活に飽きて、夫をほったらかしにしてPetrópolis に数日旅して、そこでレスビアンにふける事件。②男が恋愛沙汰の末に女を殺す事件。③郊外に住む二人の若い女同士が愛し合い、それを咎めた一方の母親が娘に殺される事件。④自分の妻が経済的困窮を訴え、それに憤った夫が殺める事件。⑤酔いどろになって帰宅した男が家族を殺す事件、など。

ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 ㉔ Cinema Brasileiro ao longo da história
Júlio Bressane 監督には、前回紹介したMatou a Famíliaの他に、「天使は生まれた」(O Anjo Nasceu)の優れた作品がある。
ブラジル映画評論協会[Abraccine]によって最優秀100選にもリストアップされているこの映画は、Murilo Sallesが製作した「どのようにして天使は生まれれるのか」(Como Nascem os Anjos)の作品と、題名ばかりか筋書きにおいても想起させるものがある。
Como Nascem...がリオのスラムに住む二人の若者による一人のアメリカ人を誘拐する内容のものに対して、O Anjo Nasceuは二人の強盗、つまり狂信的なSantamariaと友人のUrtiga は、岡の上にある中流上の階層の家に押し入り、主人を殺し、その妻とお手伝いさんを人質にする。
岡にあるコミュニティーの警察は二人を包囲する一方、二人は逃亡を試みる。が、Santamariaは足に被弾、負傷するに至る。そして、天使に近付く己を信じるようになる。Urtiga もSantamariaに追随して、天使の救済を願うのである。
マージナルな社会に焦点を当てた代表例である
O Anjo Nasceuは、先に紹介したO Bandido da Luz Vermelha とも類似している気がする。
それにしても、SantamariaとUrtiga の双方が、女嫌い(misógino)で人間恐怖症(homofóbia)という役柄の設定に驚きを禁じ得なかった。

ブラジルの芸術 Arte Brasileira
歴史に沿ったブラジルの映画 25 Cinema Brasileiro ao longo da história
1970年代初めのほとんどの新作映画は、一つの公的団体、ブラジル映画会社[Embrafilme]とかかわりを持っていた。この公的会社が奨励金を与えたことで、二つの伝統的なブラジルの映画が息を取り戻した。
一つはブラジルの小説を脚色したもの、もう一つは歴史事件や歴史事象をドラマ化したものである。「独立か死か」(Independência ou Morte)やミナスの陰謀を扱った「オス•インコンフイデンテス」(Os Inconfidentes)のごとき映画は、独立150年に当たる1972年に生み出され、歴史および文学路線をたどる映画の口火を切った。
「マーチ」、「サン•ベルナルド」などは、かなり趣向は異なるものの、同じ時期に製作されている。
1974年末から1975年の初めにかけては、評論家のみならず大衆の称賛を得た映画もあった。それは、Nelson Pereira dos Santos 製作の「オグンの魔除け」(Amleto de Ogum)である。国民の生活を描いた、ブラジル的なものと言えよう。
一方、Joaquim Pedro de Andrade は、作家Dal-ton Trevisanの物語作品をベースにした「夫婦喧嘩」(Guerra Conjugal)を撮影している。
もう一つこの時期に挙げるべきは、1975年のMario de Andrade の小説「他動詞、Amar」(Amar, Verbo Intransitivo)を下敷きにした、Eduardo Escorel監督が製作した「愛のレッスン」(Lição de Amor)であろう。
サンパウロのコーヒー貴族は自分の子供の教育のために女性家庭教師を雇うが、それは勉学ならぬ、性の手ほどき、という内容の映画である。
私がブラジルに留学して、フルミネンセ大学本部から指呼の距離のIcaraí海岸に面する映画館で、初めて観たのはこの映画であった。

私の蕪辞なブラジルの芸術(映画)ついての文章をお読みの方へお知らせ
目下、ブラジルの映画史を概略的に通観しています。そしてこれから、いよいよ現在の映画になります。
しかしながら、正直なところ、私自身ほんの一部の映画しか観ていません。ですから、その全容も分からずコメントすることも不可能同然です。
従って、現代のこの国の映画全般とその傾向、特色等についての概要に関しては、知識が皆無の私としては、全面的に文献に頼らざるを得ません。
今、まさに二、三の文献に当たり、認識を深めている最中です。まとまり次第、皆さまにこの場で紹介する所存です。しばらくお待ち頂ければ、幸甚に思います。